学校の概要
学校沿革概要
明治21年 | 10月 1日 |
佃島42番地に佃島尋常小学校創立 |
26年 | 5月 日 | 月島仲通1丁目4番地に校舎移転 |
44年 | 6月15日 | 本校児童全員月島第二小学校に移収され、以後大正9年まで休校 |
大正 9年 | 1月29日 | 佃島尋常小学校旧校舎跡地に再開 |
12年 | 9月 1日 | 関東大震災、校舎焼失 |
昭和 4年 | 12月25日 | 旧校舎跡地に新校舎建設のため、新佃東町(現佃3丁目)に仮校舎を建てる |
6年 | 5月25日 | 鉄筋3階建校舎落成式、創立記念日に定める |
16年 | 4月 1日 | 東京府東京市佃島国民小学校と改称 |
18年 | 7月 1日 | 東京都佃島国民学校と改称(都制実施) |
22年 | 4月 1日 | 東京都中央区立佃島小学校と改称 |
26年 | 5月25日 | 校歌制定、出口敏夫氏作詞、釋迢空氏選、平井康三郎氏作曲 |
38年 | 11月20日 | 月島幼稚園を併設 |
40年 | 12月 2日 | 大阪市立佃小学校と姉妹校になり、以来毎年1回交互に訪問 |
42年 | 10月18日 |
学校給食優良校として文部大臣賞受賞 |
43年 | 11月27日 |
創立80周年記念式典挙行 創立記念日を10月27日と改め、現校章を制定 |
63年 | 3月27日 | 佃2丁目3番1号地の新校舎へ移転 |
4月 1日 | 月島幼稚園を分離 | |
6月 4日 |
新校舎落成式 | |
10月29日 |
開校100周年記念式典挙行 | |
平成 2年 | 10月26日 | 資料室設置(佃島資料館・大阪佃交歓会資料室) |
4年 | 3月27日 | 玄関前に希望の像設置 |
13年 | 4月 1日 | 中央区立佃島小学校と改称 |
4月19日 | 交通安全優良校として警視総監賞受賞 | |
26年 | 11月 8日 | 大阪佃小学校との交歓50周年記念式典挙行 |
28年 | 1月26日 | 東京都言語能力向上拠点校研究発表 |
30年 令和3年 4年 |
11月17日 2月28日 4月 1日 |
開校130周年記念式典挙行 学校大規模改修工事完了 全児童一人一台タブレット端末貸与 |
学校の教育目標
・健康で 明るい子ども
・礼儀正しく 思いやりのある子ども
・よく考え すすんでものごとに取り組む子ども
特色ある学校づくり
・大阪佃小学校との50年以上にわたる交流活動
・歴史と伝統ある地域と向き合い、地域教材を活用し、地域に根ざした学びの充実
・本物にふれる喜びをや体験する喜びを十分に味わわせる体験学習
・朝学習・朝読書などによる基礎学力の定着や基礎体力の向上
・学校評議員、外部評価委員会、保護者および教職員による学校評価を生かした学校づくり
校歌
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児童数(令和 7年 4月 1日現在)
学年 | 男子 | 女子 | 計 | ![]() |
1年 |
72 |
55 | 127 | |
2年 |
74 | 55 | 129 | |
3年 |
61 |
46 | 107 | |
4年 |
59 | 61 | 120 | |
5年 |
69 | 71 | 140 | |
6年 |
73 | 58 | 131 | |
計 | 408 | 346 | 754 |
教職員数 【校長 第31代 上田 敏廣(令和7年4月1日着任)】
校長 | 副校長 | 担任 | 副担任 | (都)時間講師 | 計 |
1 | 1 | 24 | 8 | 4 | 80 |
養護 | (都)事務 | 栄養士 | 用務主事 | その他 | |
2 | 1 | 1 | 3 | 45 |
学区域の概要
隅田川の三角州上に築かれた百間四方の島、これが佃島である。徳川家の知遇を受けた摂津(大阪)佃村、大和田村の漁民33名がこの地に移住してより、400年に及ぶ歴史と伝統をもっている。現在、本校は大阪市立佃小学校を姉妹校として、昭和40年より毎年1回の交歓会をもち、すでに50回以上を重ねています。 本校の学区域は佃1丁目(本佃)同2丁目(新佃)と月島1丁目の一部であるが、人口密集地であるため、その範囲は極めて狭い。 現学区域は中央卸売市場関係業、中小工場、西仲通り商店街を包含した地域で、戦災を免れ戦前の下町のたたずまいを残した東京の中でも情緒ある町で、見学者も後を絶たない。 最近は情緒を残す民家に代わって石川島造船所の跡地を利用した高層住宅の進出が著しく、新旧両方の建物が調和し、ベネチアの水都国際会議で平成2年には、美しい水の都として表彰を受けている。 |
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