その⑱

 子どもの頃の日曜日(習い事について②)

 

 前回の「土曜日の午後1時」の続編です。

 今回は「日曜日の午後1時」です。

 土曜日は「習字」、そして日曜日の午後1時の習い事は、「ボーイスカウト」でした。

 実際には小学生でしたので、「カブスカウト」です。

 これまでの経緯からも明らかなように、今から思えば、私の将来を案じ、親としては、社会性のある、礼節のある人間に育ってほしかったのだと思います。

 カブスカウトは、そのための方策だったのかも知れません。

 勧めたのは母親でした。叔父が高校生までボーイスカウトで活躍した姿を見ていたことが大きな理由だったようです。

 カブスカウトについては、興味のある部分もありました。

 募金のために街頭に立ったりキャンプをしたりと、何だか特別感のあるような、わくわくするような要素も感じていました。

 ところが、またしても日曜日の午後1時という遊びのゴールデンタイムともいうべき時間帯がネックでした。

 また、当時の私からすると予想よりも実際の活動に縛りを感じることが多く、憂鬱な気持ちでいたことを覚えています。

 結果的にカブスカウトは長続きしませんでした。

 何かと理由をつけてやめたのだと思います。

 街でボーイスカウトの方をお見かけする度に、素直に「凄いなぁ」と思います。

 きっと充実した経験を重ねているのだろうと・・・。  

 さて、子どもにどのような習い事をさせるか、そのための親の姿勢について相談されることがあります。

 模範解答があれば良いのですが、そう簡単にはいきません。

 親としての「意図」と、子どもの「やりたい!」という気持ちをバランス良く満たしてくれることが理想だと思いますが、なかなか難しいものです。興味を持てる内容であることや、指導する先生との相性(適格性)もあるでしょうし、習い事を始めるタイミング

(適時性)もあるでしょう。また、私の例のように、時間帯というのも一つの要素かと思います。

 そこには試行錯誤の要素も生まれるでしょうし、また、それも良しとしていく心のゆとりも必要かと思います。

 そして、「成果」もさることながら、「やって良かった」と後々思えるようにしていくことも大切にしていきたいですね。

 今振り返って思うのは、胸は張れないのですが、一つの経験としては良かったなぁ、ということです。

 うまくいかないこと、できないこと、当初の予定とは違ったこと等々、すべてを含めて「経験」であり、また、それも「成果」だと捉えれば良いのではないでしょうか。

 

その⑰

 子どもの頃の土曜日(習い事について①)

 私の小学生時代の土曜日の思い出です。

 当時は毎週土曜日に学校があり、午前中の授業で終わりとなる、いわゆる「半ドン」でした。

 子どもとしては、この午後の時間をいかに使って遊ぶことができるか、に全力を注ぐ訳です。うまい具合いに、午前中のうちに友達と約束ができるので、好都合でした。

 大好きだったのは、校庭に行って行う、学級対抗の野球でした。ひと学年5学級ありましたので、まんべんなく各週ローテーションが組めるのです。

 当時は校庭開放というシステムがありませんでしたので、校庭は早い者勝ちで遊べる絶好のフリースペースとなっていました。

 そして、今のように少年野球が普及していませんでしたので、いわば我流の集まり・草野球の原点で、それがまた良かったのです。

 中休みになると、交渉上手の友達が、「号外~!」と言わんばかりに、「今日は○組と試合決まったけんね!」と試合を決めてくれます。

そして、学活(終わりの会)が終わり次第、一目散に家へ帰るのです。

 ところが・・・

 私はその前に行かなくてはならないところがありました。

 それは、午後1時に始まる「習字」でした。

 私の意志とは関係なく、習うことになったものでした。(意志を確認すると「絶対にやらない!」と言うことが分かっていたからなのでしょう)

 近所の神社隣の集会室が会場です。途中で先生に添削をいただきながら、毛筆で10枚書き上げれば終わり、という流れでした。

 そうなると、いかにして早く上がるか、が勝負です。

 小学校からはダッシュで帰宅し、昼ご飯もそこそこに自転車をとばして、いざ神社まで!

 私があまりにも早く到着するため、先生と到着のタイミングが重なることがしばしばありました。そのため、ござを敷いたり座卓を出したりといった事前準備のお手伝いをするのも喜んで行いました。

 すべては野球のために・・・!

 もしくは遊びのために!

 神経を注いだのは、いかに「早く!」かつ「いい加減に書いたと思われないようにするか!」ということです。

 思いがあれば何とかなるものです。

 何しろ集中してスピード重視の一発勝負です!私の思惑通りに進むことが多く、最短で遊びへ移行することに成功していました。

 一方で詰めが甘い部分もあり、筆を洗わないままに遊びに行っていましたので、毎週形状記憶状態に固まった筆を強引に墨の中でほぐしてから書くというのが、お決まりのパターンでした。

 自分では、「弘法筆を選ばず!(洗わず!)」といった調子でしたが、筆は傷む一方でした。

 習字については、やめたい思いは強かったものの、やめる理由が見つからないまま結局高学年まで続けていた記憶があります。そのため、結果的に賞をいただいたり段をいただいたりということもできました。

 しかし、取り組む姿勢が姿勢だったため、その度に後ろめたい気持ちにもなったものです。

 胸を張って習字をやっていましたとはとうてい言えないものでした。

 いろいろな習い事がありますが、親の思いと子どもの実際とが合致するのはなかなか難しいものでもあります。

 ただ、今となっては良い経験をさせてもらえたなぁ・・・、と感謝の思いでいっぱいです。

 何よりも、子どもにとって最良のことを行いたいという親の思いがあって通わせてもらえたからです。

 習い事では、どうしても目に見える形で結果を求めてしまいがちですが、人それぞれに成果の表れるタイミングは異なるように思います。

 親の情としてはなかなか難しいことなのかも知れませんが、「長い目」で捉えていくことは、大切な一つの視点なのではないかと思います。

 

その⑯

 「ハレ」と「ケ」

 

 

 私が密かに感じている違和感の一つ。

 「コーヒーショップなどで、日常的にケーキを食べている姿」

 私が子どもの頃は、ケーキは誕生日とクリスマスにしか食べられない特別な食べ物とされていたので、このように感じてしまうのでしょう。

 自分の誕生日の時は、ケーキの上にトッピングされているチョコレートやフルーツなどを優先的に選べる最高の喜びがあり、兄弟の誕生日の時も自ずとお祝いの気持ちを寄せることにもつながっていたように思います。

 表題の言葉、今やなかなか聞かれなくなっているかも知れません。

 日本において古くから伝えられてきた考え方の一つで、「ハレ」とは、年中行事や祝い事などの非日常的な生活を、「ケ」は、普段通りの生活のことを指します。

 (むしろ数年前に事件となった振り袖のレンタル会社名の方が耳なじみあるかも知れません)

 特別な食事や集まりなど、「ハレ」の日にすることを楽しみに、日々の「ケ」の日をつつましく暮らしていたわけです。また、その中では、人を思いやったり力を合わせたりする経験が自ずとできていたであろうことも想像できますね。

 一方で、物的に豊かになってきたことに伴い、この「ハレ」と「ケ」の境目が曖昧になっていることも事実です。

 物的に満たされるということは、他者と協力したり調整したりする必要も少なくなります。

何だか一つ一つの物事を考える機会そのものが奪われてしまうような気もしています。

 毎日が「ハレ」ならば、一見幸福そうに思われますが、案外つまらない生活になるのかも知れません。

 そのように考えてみると、幼稚園の生活も行事偏重型にならないように気をつける必要があります。

 行事に至るまでの「ケ」の日々の積み重ねの大切さに目を向けると共に「ハレ」の姿だけをもって評価することのないようにもしたいものです。

 幼い頃から発表や競争に晒され、表面上且つ一時の厳しい評価を受けることが多い現状を鑑み、「地道は近道」を実感する今日この頃です。

 

その⑮

 便利の裏で失われるもの

 

 

 ほとんどのスポーツジムに設置されているランニングマシーン。

 私も、不定期ながらお世話になっています。

 天候にかかわらず、しっかりと自分の決めたメニューをこなせるのが、大きな利点です。

 とてもありがたい機械であることを感じつつ、ふと・・・

「ランニングマシーンやトレーニング機器は、便利な世の中になったからこそ生まれたものであり、本来不必要だったのでは」という思いが頭を過りました。

 交通機関が発達していなかった時代においては、自ずと歩いたり走ったりする機会が多く、現代のように歩数を気にする必要はなかったはずですし、汗をかいて動く労働内容も多いため、筋トレに該当する内容も相当にあったはずです。

 人間が体を使わなくても良い環境をせっせと作ってきた一方で、今度は、わざわざ体を動かすための環境を作らなければならないというある種の滑稽さを感じてしまった次第でした。

 そのようにひとりごちながら、結局自分もその一人ではないかとツッコミを入れつつ、汗をかくのでした・・・。

 話は変わり、次年度より実施予定(希望者のみ)の「弁当給食」と「預かり保育」についても、重なる部分があるように感じます。

 子育ての支援という点において、非常に喜ばしい内容であることは重々承知しつつ、一方では、お子さんに合わせた手作りのお弁当を作る機会が減ったり、お子さんと直接関わる時間が減ったりすることを鑑みることも必要になると感じています。

 手を掛けなくても良い部分が生じる分、どこかでそこを補填する「心持ち」をもたなければ、親子関係の希薄化につながりかねないように思うところです。

 便利な内容、目新しい内容が生じた時こそ、その裏で失われるかも知れない内容の方にも思いを馳せていく必要があると思います。

 

その⑭

 「整える」一週間に

 

 

 夏季休業中は、いかがお過ごしでしたでしょうか?

  きっと日頃は経験できないような、楽しい思い出を積み重ねてきたことと思います。

  日頃とは違う、ということは、刺激的なことでもあり、一方ではこれまでのリズムが崩れてしまうということでもあります。

杓子定規に生活のリズムを取り戻しましょう!と言うのは至って簡単ですが、大人も子どももなかなか困難なことであることは、私自身、身をもってよく分かります。

  特に今週は、幼稚園生活用品リズムを取り戻す大切な週です。

全てがいきなりうまくいく訳ではありませんので、お子さんの様子をよく見ながら、今週いっぱいをかけて少しずつ整えていくという心持ちで関わっていただければと思います。

  ゆっくり・ゆったりと、かつ「楽しく」学期初めの生活を作っていきたいと思います。

 二学期もどうぞよろしくお願いいたします。

 

その⑬

 「食べる」ということ

 

 

 

 この時期になると、子どもたちが育てた野菜が大きくなって収穫できるようになります。

 生で食べたり、また、先週のカレーパーティーのように皆で調理をしたりして楽しい雰囲気の中で食べる経験を楽しんでいるところです。

 「食育」という言葉もすっかりポピュラーになりました。

幼稚園においては、これまでも伝統的にこのような活動を大切に行っていましたが、国全体としても様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てるために、として、2005年食育基本法が施行されたことをご存じの方も多いかと思います。

この「皆で同じものを食べる」という経験は、好き嫌いの克服に繋がるきっかけにもなります。

幼稚園とご家庭との経験がつながり、食べることがより楽しめれば、と願っています。

 と記しつつも、かく言う私は、幼少期は特に偏食が激しく、特に生野菜が大の苦手でした。

(秘実は、今も大根と漬物はNGなのです・・・)

 当時は、今以上に「完食」を大切にする雰囲気が強く、そのため自ずと強制して食べさせられるといった側面も強かったのですが、それは私にとっては逆効果で、意地でも食べようとしないことがほとんどだったように記憶しています。

 給食の時間も苦痛の一つとなっており、献立表を見てはため息をつく日々で、完食できなかったために昼休みがなくなってしまうということも多々ありました。

 学級には、「給食完食表」的なものが掲示されていました。全員の名前があり、完食できた日にはシールを貼ります。それが積み重なっていくことで棒グラフの状態になり、誰がどの程度完食できているか(いないか)が一目で分かるというシビアなものでした。

 時代は変わり、子どもたちはとても楽しそうに食べています。

楽しい雰囲気を作りながら、必要以上に無理をさせないことも良いのだと思います。

 今の子どもたちの中に当時の私がいたら、少しは違ったかもしれない、と都合よく(!)思うことがあります。

 「食べる」ということは、その行為だけでなく、栄養という側面や楽しさやコミュニケーションの側面、興味関心を広げるきっかけとなる側面など、様々な喜びが味わえそうですね。

 子どもたちは、夏休みを迎えます。

 ご家庭におかれましても、これまで同様にあたたかな雰囲気の中で発達に必要な各種の経験ができることを願っています。

                                            

その⑫

 「消費活動」ではなく「教育活動」

 

 『下流志向』~学ばない子どもたち 働かない大人たち~ 内田 樹著  講談社文庫   という本があります。

 学力低下やニートについて、大きな社会問題となっている昨今、この本では、「学びと労働からの逃走」という主題で社会背景や時代の変化等、様々な角度から切り込んでいっています。

 その中で、「学びからの逃走」の内容として、このような仰天的エピソードが書かれていました。

 小学校低学年の段階で、「この勉強をすることに対して、一体どんな意味があるんですか?」と先生に聞く子ども。

 言い換えれば、満足のいく答えがなければ、授業を聞きませんよという意志表示でもあります。

 また、とある中学生が素朴な疑問として「どうして人を殺してはいけないのですか?」と問うた話も紹介されていました。

 思わず、「はっ!?」「何!?」と聞き返してしまう内容で、理解に苦しみます。

 では、なぜそのような思考になってしまうのか、というところですが、『子どもたちは就学以前に消費主体として、自己を確立している』からだと述べられているのです。

 昔と今との子どもたちの大きな違いは、「労働」から入ったか、「消費」から入ったか、というところです。

 昔ならば、家の手伝いをして家族に認められる等の経験を通して徐々に社会的承認を得ていくところが、今は急速に進む少子高齢化により、幼児期から何をすることもなく高額のお金(お小遣い)を手にし、生まれて初めての社会的経験が『買い物』となること、そして、「お客様、ありがとうございました」と頭を下げられ、何をするでもないままに全能感を得てしまうといった内容でした。

 確かに、なるほど・・・と思わされました。子どもにとって良い方向にいきそうにありませんね。

 幼稚園は、もちろん消費活動の場ではなく、教育活動の場です。

 例えば、自分たちで育てた野菜を収穫し、食するのも教育的意味があるから行っているのです。

 時代とともに世の中は便利になり、今後も残念ながらこの傾向は続くことでしょう。

 しかし、「子どもにとっての経験」は不易のものです。

 親として大人としてどのように子どもにかかわり、何を経験させていくのか、という正しい目が求められていると感じています。

 

その⑪

 「キレた私」後編

 

 

 

 「キレた」私は、ひたすら歩き続けました。

 凡そ一時間、どうにか道に迷わず歩いていき、いよいよ自宅近くにある長い上り坂にさしかかりました。坂道の途中で、ふと後ろを振り返ったところ、100メートルくらい後ろに・・・

 母がいました。

 恐らく、遅れて園にたどり着き、私の後を一生懸命に追いかけてきたのでしょう。

 そこで私も母の元へ行けば良かったのですが、何しろ「キレて」います。また別種の訳がわからない怒りがこみ上げてきて、いわば「倍ギレ」(!)状態となり、踵を返してまた歩き出しました。

 全く可愛げのない子どもだったと思います。

 しばらく歩いては振り返り、ということを頑固に繰り返し、母親と一定の距離を保ったまま自宅へ到着しました。

 残念ながら、そこから先の記憶は残っていません。厳しく叱られた記憶もなければ、涙ながらに謝ってもらったという記憶もありません。自分の中で、曖昧に終わってしまったままの出来事だったのだと思います。

 それでは、一体どうすれば良かったのか、というところですが、これがなかなか難しく、模範解答はないように思います。

 なぜならば、その子が何を感じどう捉えるかが大事だからです。

 叱った方が良いケースもあれば、逆に謝った方が良いケースもあるでしょう。

 実は、子育てはこのようなことの連続なのではないでしょうか?

 良かれと思ってかかわっても、今ひとつうまくいかない・・・

 例えるならば、日ごとに大きさや形、硬さを変えるボールを使い、親子でキャッチボールをするようなものです。

 そして、お互いに「しまったなぁ・・・」ということを繰り返しながら、親子のかかわりを深めていくのだと思います。

 結びに、当事者であった私がどう感じていたかについてです。ただ一つだけ、未だに心に残っているのは、何とも言えない「バツの悪さ」です。素直さがなく、申し訳ないことをしてしまったなぁ、と思っています。

 そして、あくまでも私にとってですが、「かかわり」としては、このように感じ、考える余地を与えてくれた、このかかわりで良かったのではないかと思っています。

 

その⑩

 「キレた私」前編

 

 

 先日は、幼稚園行事「ファミリーデー」を実施いたしました。

 親子での関わりを楽しむひとときになったことと思います。

 ご参会いただいた皆様、ありがとうございました。

 さて、今回はむしろ真逆の、私が幼稚園の頃のエピソードです。

 当時は人数が多かった背景があったからでしょう、お迎えの時には地域別に班になって並んで待つということになっていました。

 幼稚園の帽子には色別のボタンがつけてあり、色別に並んで待つのです。

 通園区域もかなり広かったものですから、理にかなった方法でもありました。

 我が家は共働き家庭であったため、お迎えは主に祖父でした。

 一方、「送り」は主に母が担当し、私を幼稚園門まで連れて行くや否や、そのまま慌ただしく職場へ!という日々でした。

 そのため、私には登園を拒むという選択肢はなく、登園時間も遅れがちでしたので、何だか朝からばつの悪そうな感じで友達の中に入っていく、という日々でした。

 「その日」は仕事の都合がついたようで、久しぶりに母が迎えに来ることになっていました。

 やはり、そのような時はうれしい訳です。

 お迎えの時を今か今かと待っていました。

 ところが、いつまでたっても母は迎えに来る気配がありません。迎えに来て楽しげに親子で帰って行く友達がうらやましく、また、何だか自分がとてもみじめな感じに思えてきました。

 小雨も降っていたように記憶しています。どんどん周りの人が少なくなり、ほとんど誰もいない状態になってしまいました。

 母が迎えに来てくれることに対しての期待が大きかったからでしょう、その反動から、とうとう私は「キレて」しまいました。

 何をしたかというと、

 いわゆる「脱走」です。

 先生の目を盗んで、幼稚園を飛び出しました!

 徒歩一時間近くはかかるであろう我が家を目指して・・・。

(次回に続く)

 

その⑨

 「あんパン」の話

 

 

 皆様から笑われるであろうことは重々承知しつつですが、私の子どもの頃の疑問のひとつとしてあったのが、「あんパンのあんは、一体

どこからパンの中に入れたのか」ということでした。

 眺めても探しても、パンには「あん」を入れたと思われる穴は見つからず、首をかしげるばかりでした。

 ここで思うことは2つです。

 1つには、粘土の経験を豊富にしておけば気づいていたかもしれない、ということです。

 幼稚園では、粘土をパンに見立てて遊ぶ姿がよく見られますが、我ながら粘土や砂場などで様々な素材に直接触れ、見立てたり試行錯誤したりする遊びの経験を幅広くしておくことが必要だったのでは、と今更ながらに思います。

 2つには、子どもの疑問は、大人の発想からは思いもつかないところから生じる、ということです。

子どもたちと会話をしていると、「なぜ空は青いのか」「線路にはなぜ石が敷き詰められているのか」「郵便ポストはなぜ赤いのか」・・・など、実に子どもらしい素朴な疑問を投げかけられます。

 ご家庭でも同じようなことがあるかと思います。

 その際に、どのように答えるか、ですが、正解を紐解いてくことも大切ですし、敢えて答えないで一緒に考えたり想像を膨らませたりすることも大切です。

 要は、お子さんが何を求めているのか、どのようにかかわることが今の時点で一番ふさわしいのか、を読み取ることです。

 私がなぜ、このパンの話を覚えているかというと、近くにいた大人が、「なるほど!」と共感してくれたからでした。

 経験としては粗末だったかもしれませんが、その着眼点を認めてくれたということでしょう。

 ご家庭においては、お子さんと向き合っていろいろとお話をすることがあるかと思いますが、そのこと自体を楽しみながら、思いをしっかりと受け止めていく時間を大切にしていただけたら、と思います。

 

その⑧

 「マルトリ」って、何?

 

 

 世には様々な造語、略語が溢れています。

 その時は覚えても、すぐに忘れてしまうことの繰り返しです。(少なくとも私はそうです・・・)

 それに加えて表題の言葉です。「また新しい言葉?」とタメ息混じりに感じられるかも知れないことは承知しつつ、これから目にする機会が増える言葉になるかも知れないと思い、紹介いたします。

 この言葉の正式名称は、「マルトリートメント」。1980年代からアメリカなどで広まった表現で、日本語では「不適切な養育」と訳されます。

虐待とほぼ同義とされますが、「虐待とは言い切れないまでも、大人から子どもに対する避けたい関わり」までも含んでいるところがポイントです。

   ニュース等で報道される生死に関わるケースでなくても、親の感情に任せて怒鳴ったり叩いたりするなど、日常的に起きやすい内容や、良かれと思って関わる内容が実は日常的に子どもを傷つけてしまっている可能性があることまで解釈を広げているところがこの言葉の特徴と言えます。

   そうなりますと、自分の子育てを考えた際に、「ひょっとしてマルトリ的な関わりを自分もしているかもしれない」という思いになったり、「振り返れば自分が子どもの時はこれ以上の内容があったのでは?」と、複雑な思いを抱いたりすることもあるのではないでしょうか。

 子育てをする親の立場としては、時として、一体何が正しくて何が間違っているのか、判断に困ったり、子どもを叱ることすらできないのか、と疑問を感じたりすることも生じます。

 無理もありません。テレビ番組一つを振り返ってみても、これまでには体罰を容認するような内容が日常的に流されていた訳ですから、その感覚を急に是正するのは簡単にできることではありません。

 一方で、世のニュースでは、「子どもへの暴行」「ネグレクト」「虐待死」「餓死」等々、信じられない内容が日常的に報道され、一つの内容を記憶に残す前に、次々と別内容が上書きされているような状況です。

 これらの内容は、状況が揃えば誰しも起こり得る要素があります。決して個人の問題として帰結することはせず、世の中全体で本来あるべき姿を考え、目指していく必要がある訳です。

 そのように考えると、今回の「マルトリ」という言葉だけでも、子育てについて考え、改善につながるきっかけになりますので、決して悪いことではなく、長い目で見ると良い方向に向かっているという捉えができるかと思います。

 そして、子育てをする親としての心持ちとしては、「正しかった」「間違っていた」という2極的な捉えだけでなく、心にある種の「ゆるやかさ」を持つようにしつつ、長い目で子どもの成長を見守るというスタンスをとるようにすることが良いと言えそうですね。

 そのことでゆとりが生じ、少しずつ自分自分が楽になり、その積み重ねにより子どもの幸せ、皆の幸せにつながっていくはずです。

 

その⑦

 空手で見る親子の姿

 

 

 

 私のライフワーク?となっている、空手での親子のエピソードについて、お伝えいたします。

 私の所属する道場には、多くの子どもたちが通っています。

 クラス分けは大きく3つあります。

 Aクラス(小学1~3年生)、Bクラス(小学4~6年生)、そして幼児クラス(3歳から小学校就学前)です。  

 今、小学校中学年の男児がいます。

 彼は幼児クラスからの入会でした。

 空手に通ってくるくらいの子どもですから、元気が良くて、腕白なイメージを持たれがちですが、実は様々です。

 もちろん女児も大勢いますし、大人しい性格の子、引っ込み思案な性格をどうにかしたい、との保護者の方の思いから入会してくる子もいます。

 その男児はというと、大人しいタイプのお子さんで、大きな声を出せない、うまくできない度にすぐに涙が出る、といった具合で、長続きは難しいように見えるお子さんでした。

 幼児クラスは、保護者同ですので、道場の後方に保護者の方々が座ってその様子を見ています。(幼稚園公開のような光景です)

 その男児は、何かある度にお母さんのところへ行き、しばらく泣く、ということを繰り返していましたが、そのお母さんは厳しく叱咤するようなことはなく、(親としては我が子の不甲斐なさを感じてしまいやすいシーンかと思いますが)その都度、必ず微笑みながらその子の気が済むまで抱きしめていました。

 私も幼児クラスで相応に関わる中で、果たして空手そのものに興味が持続するのか、空手自体を楽しめないのでは、と思いつつでしたが、見えない部分に芯の強さがある子だったのでしょう、辞めることなく通い続け、今では選手として試合に出場しています。

 私の流派の空手の試合は、直接打撃制のスタイルですので、子どもとは言え、防具は着用しますが、本気で突き蹴りをし合います。

 自分もやられてしまう、痛い思いをすることが分かっているわけですので、試合に出るのは相当な勇気がいります。

 お母さん自身、タイプ的に彼が試合に出るなどとんでもない、と思っていたとのことでしたので、本人が自分から出たいと言った時は驚きで、その理由が未だに分からない、ということでした。

 残念ながら、同学年の中で体格が小柄なこともあり、なかなか勝ち星には恵まれませんが、戦い方はとてもクレバーで、ステップを使って出入りを早く戦うという華麗なスタイルです。

 試合会場は、保護者の方々のいろいろな熱い思い(叱咤激励)が溢れますので、正直なところ「ちょっとこれは…(子どもには酷なのでは)」と感じるシーンもあります。

 彼は負けると、涙を流し、お母さんのところへ行って抱きつくという姿は幼児クラスの頃と変わりませんが、微笑みながら抱きしめるお母さんの姿も変わりません。

 試合会場の他の親子の姿からすると、異質にも見えますが、この関わりを続けてきたからこそ、彼はここまで続けることができていると感じます。

 我が子のペースに合わせて、しっかりと付き合い続けること・・・、簡単そうに見えてなかなかできることではありません。

 後伸びする強い力がしっかりとついていることを感じさせられるとともに、親子の素敵な関わりについて多くの学びを得ています。

 

その⑥

 「大人は信用してはならない存在」という学び

 

 長いコロナ禍から、これまでの日常に戻る動きが進んでいます。

 マスクの着用についても、暑くなるに伴い外すことが一層加速化していくものと思われます。 

 さて、今年の3月、息子の高校の卒業式に親として参列することができました。(とは言え、別室からのオンライン参加でしたが)

 お恥ずかしながら、職場を出た途端に仕事の鎧が外れてしまう私は、この時も完全に休日の父親モードでしたので、良くも悪くも、今ひとつ肩の力が入らないままの状態でした。

 ところが、急に背筋が伸びてしまったのです。

 それは、卒業生代表生徒からの「答辞」のシーンでした。

 この学年の子どもたちは、入学から卒業までの3年間をコロナ禍の中で過ごしましたので、自ずと答辞の内容もそれを踏まえたものとなってきます。

 答辞の冒頭で、「このコロナ禍での学校生活で、私たちは多くのことを学びました」とあり、続けて、

・工夫をしながら取り組んだ各種行事のこと

・一緒に学んだ仲間や後輩への思い

・大変な中、自分たちのことを第一に関わってくれた親や先生たちに対する感謝の念

などなど、思い出を綴り、具体的なエピソードも交えながら答辞は続きました。

 そして、一呼吸あった後に、

「このコロナ禍で、私たちは、大人は信用してはならない存在であることも学びました」

と述べられたのです。

 具体的な内容にまでは言及されませんでしたので、推察する他はなかったのですが、私には、このコロナ禍での大人の立ち振る舞い全てに対するしっぺ返しのように思えたのです。

 皆が必死だったのは勿論分かりますが、それにしても大人としてみっともない姿があまりにも多かったのではないでしょうか。

 至る所で、詭弁を繰り返し、自分の立場を守ることだけに躍起になる姿、思いやりや助け合いとはほど遠い姿、新たな差別や偏見を生む光景・・・

 全て子どもたちには「してはいけない」と教えていたはずの大人の姿です。

 特に多感な時期の子どもたちは、このようなシーンに出会っては心を痛め、一体誰を信じたら良いのかと不安な思いになっていたであろうことを思うに、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 その中で救いに感じたのは、校長先生が式辞の中で、涙ながらに子どもたちに辛い思いをさせてしまったとお詫びされていたこと、そして、学校としてこの答辞の内容に蓋をするような対応をとられなかったことでした。

 これから、所謂「これまでの生活」に戻っていくタイミングで、私たち大人は、本当に子どもたちが憧れを抱けるような存在として立ち振る舞えているのか否かなど、多くの問いを自分たちに課していくことが必要に感じています。

 

その⑤

 東京スカイツリーへの旅

 

 先週は、とても暑い中ではありましたが、年中さんの徒歩遠足を実施することができました。

 勝どき橋では、右に左に東京タワーや東京スカイツリーを眺めることができ、何とも言えない幸せな思いにもなりました。

 さて、今回はその東京スカイツリーについてです。

 東京スカイツリーが完成した凡そ10年前の頃、ちょうど小学生だった息子に新しい自転車を買ったタイミングに重なりました。

 新しい自転車→たくさん乗ってみたい!となります。

 話は自ずと「遠くにお出かけしてみたい!」となりました。

 そして、どちらか(多分私だったのでしょう…)から、

「そうだ! 東京スカイツリーへ行こう!」となったのでした。

 とは言え、我が家から東京スカイツリーまでは、直線距離だけでも20km以上はあります。

 その現実に目を向ければ良かったのですが、「ロマン」の部分が勝り、とある休日に、自転車二人旅をすることに相成りました。

 この時点で無謀極まりない話なのですが、幸せなことにこの時点で二人は全く気付いていませんでした。

 更に私の中でアイディアが生まれます。

「そうだ!スマホ(携帯)は使わず、目に見える東京スカイツリーだけを目指して行こう!」

「頼るべくは紙の地図と現地案内図。そして自分の土地勘のみ!」

 まだ現実の見通しが立たない息子は、次々と湧き出す私の無謀なプランに大喜びで乗ってきてくれます。

 そして、その日が訪れました。

 計画実施の時です。

 本当にその時々に見えたり見えなかったりする東京スカイツリーだけを目指して、そして、子どもと一緒ですので、安全な道を選びつつ、自転車をこぎ続けました。

 しかし、目には見えるものの、なかなか到着しないものです。

(距離からして当たり前の話なのですが…)

 「今は○○区、次は△△区で…」

 「□□が見えてきたから、もうすぐかも知れない!」

 息子を、そして自分を鼓舞しながら、少しずつ東京スカイツリーが大きく近づき、ようやく到着しました。

 その時の達成感は格別で!と言いたいところでしたが、それ以上に疲労度の方が、そして「帰りはどうなることやら…」という思いの方が強かったことを覚えています。

 そのため、展望台に上がることはせず、(当時は今以上に大混雑でしたので)なぜか、東京スカイツリー下のベンチでテイクアウトの海鮮丼を食べて、早々に帰り支度を始めたという次第でした。

 とっぷりと日が暮れた時間帯に、ようやく帰宅できました…。

 何かと見通しを立てないままに行動することの実によろしくない例ですので、何かの参考にしていただければ幸いです。

 そして、何より計算になかったのは、長時間自転車に乗っていたことによる代償でした。

息子はそうでもなかったのですが、私の臀部(でんぶ)は擦り切れてしまい大変な状態になり、しばらくペンギンのように歩くことを余儀なくされてしまったのでした…。

 

その④

 靴の話

 

 

 毎朝、靴箱で上履きを自分の力で履き替えている子どもたちの姿を見ると、一歩一歩階段をあがるかのように生活に必要な内容を、自分の力で身につけていることを感じます。

 一方、大人としては、スムーズにできていない生活習慣面を目の当たりにすると、大らかに見ていかなければと思いつつも、言葉を多く掛けてしまったり、時にはため息をついたりしがちです。

 今回は、靴に因んだ私のお恥ずかしいお話についてです。

 私は幼稚園時代、靴の左右を間違えて履くことがありました。

 当時の靴はマジックテープのものは流通しておらず、ゴム製の幼稚園の上履きに近いタイプのものが主流でした。

(薄水色でキャラクターの絵が描かれているものが主流でした)

よって、左右が分かりにくいものでもありました。

 親も先生もその都度指摘したりポイントを伝えてくれたりしてくれるのですが、「まぁ、履ける訳だし、さほど困らないしぃ↗」という調子で、自分から直そうとする気持ちはなく、平気で日々過ごしていました。

 そして、それは確か年長のある日のことでした。

 ふと思ったのでしょう、友達に「間違えないで履くのはどうしたらいいの?」と聞いてみました。

 するとその友達は、左右の先端部分のカーブの違いを意識すると良い、ということを教えてくれました。

 その時「なるほど!」と非常に腑に落ちたことを覚えています。

 それから先は友達に教えてもらったことを意識することで、間違えることなく履くことができました。

今でもその友達に感謝です。

 おそらく、大人からもそれに近いポイントは教えてもらっていたと思われます。しかし、腑に落ちたのは、「自ら聞いてみたこと」そして「友達からだったこと」の2点があったからだと思います。

 同年齢の友達だからこそ、の分かりやすく説明できる良さや、内容のやりとりができることがいかに大切か、ということです。

 とかく大人は、子どもの気になる姿を見ると、あれやこれやと必要以上に言葉を過剰に掛けてしまいがちです。

 日一日と、子どもたちは大人の知らないところで、人とかかわり、新しい発見や様々な感情を伴う経験を積み重ねています。

 その成長の過程を長い目で見守りながら、適時適切な、そして「その子に一番合った」かかわりに努めていきたいものですね。

 

その③

   勝ちどき橋にかける思い

 

 

 GWが明け、新たなスタートとなりました。

 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 さて、地域のシンボルである「勝どき橋」、歴史の深さもあり、実に取り上げられることが多い橋です。

 そのノスタルジックな佇まいも相まって、観光客の方々が歩みを止めて撮影をする姿が日常的に見られています。

 昨年度末、私が本園に赴任すると決まった際に、とある小学生が訪ねてきてくれました。

 幼稚園の頃から橋がとても好きなお子さんで、折に触れてその話を聞くことが私の楽しみの一つにもなっていました。

 話題が私の赴任先に及んだ際、開口一番

「月島第二幼稚園って、あの勝どき橋のすぐそばの幼稚園だよね?」と、話は自ずと勝どき橋の内容になりました。

 「先生、知っている?あの橋は昔からある橋でね。それで、本当は開くことができる特別な特別な橋なんだよ!」と、目をキラキラと輝かせて勝どき橋のことを教えてくれました。

 そして、「新しい幼稚園でも頑張ってください」と素敵な橋の絵をプレゼントしてくれました。

 「本当は開くことができる橋…」という会話の際、その子の目にはしっかりと開いている勝どき橋の情景がイメージされていることを見て取りました。

 一方、大人はとかくこのような話題になった際、現実が先行し、「できるはずがない」「できないことの理由」を挙げてしまいがちです。

 確かに現代の交通事情やコスト面からすると、実現は極めて困難な話なのでしょうが、子どもが夢やロマンを抱いている内容には、しっかりと耳を傾けて心を寄せていくことは、忘れてはならないと思います。

 私見ですが、そこを慮れなくなることが積み重なることにより、「本来の大人ではない大人」になっていくようにも感じています。

 先週、年長さんと一緒に徒歩遠足へ行った際に、勝どき橋を渡りました。

 途中、観光船のお客さんたちと手を振り合ったり、河中の生き物を眺めたり、そして、大型車が通行する度に何とも言えない音と共にたわむ様を体感したりと、この橋があるからこその貴重な体験をすることができました。

 そして、橋がたわむ度に、「ちょうどここが開閉部分だからなのか…」と独り言ちました。

 いつの日か、この橋が開閉する時を今の子どもたちと一緒に見ることができれば、この上ない幸せです。

 

 その②  

  はじめての山登り

 

 新緑が目に眩しい季節を迎えました。

 中日を挟む形にはなりますが、GWです。

 いろいろなところへお出かけをされる予定の方も多いかと思いますが、今回は、私が娘と一緒に「はじめての山登り」をしたときのエピソードをご紹介いたします。

 時は今から20年近く前、娘がちょうど3歳になった頃のことで した。

 何気ない会話の流れから、「山登りをしてみたい!」ということになり、父と娘との日帰り二人旅となりました。

 調べに調べ、居住する沿線に標高200メートル程度の(スカイツリーの高さで3分の1以下です)ほど良い高さの山があることが分かり、5月の休日に出かけてきました。

 当日は、夏が訪れたかのような暑さを伴う天気でした。

 電車に乗っている際、これまた話の流れから、なぜか娘が「お山のてっぺんに着くまで、水は飲まない!」と言い出しました。

 一抹の不安は抱きながらも、おそらく、本人なりに目標を立てたものと思われましたので、その目標に乗ることにしました。

 そうはいっても3歳児、喉が渇けば飲むであろうという見通しがあってのことです。

 駅に到着し、山の入り口まで暑い中を歩き始めました。

 途中、事もあろうに私が道を間違えてしまい、随分と迂回してしましたが、娘は顔を真っ赤にさせながら、一向に水筒を開けようとしません。

 さすがに心配になり、「ちょっと水筒を・・・」と促してみたのですが、娘は「まだお山のてっぺんじゃない!」と断固拒みます。

 やっとで登山口へ。私も目標に乗ってしまった手前、水分は一切とらずで二人とも喉はカラカラです。

 幸いなことに、山の中は木陰が多く、非常に涼しく感じられましたので、救われました。

 そして…、ほぼ脱水状態で山頂へ到着しました。

 娘はというと、息もできないほどに、水筒の飲み物を一気に飲み干し、「あ~!! おいしい!!」と大きな声をあげていました。

 その姿を見て、親としてこの関わりで良かったのかどうか、非常に考えさせられたことを覚えています。

 理想としては、当日の暑さや所要時間等々、綿密に計算をして、「ちょうどよい」経験ができるようにできれば良かったのですが、なかなか難しいものですね。

 「やりすぎたかな・・・?」「もう少しこうすれば良かった・・・」等々、様々な失敗を伴う体験を通しながら、まさに子どもによって少しずつ「親」にさせてもらえていくような気がします。

 先日、これまた話の流れから、娘とその時のことを振り返る機会があったのですが、それこそ息もできないほどに笑っていました。

 その姿に、何だか救われたような気がしました。

 皆様におかれましては、安全で楽しいGWをお過ごしください。

 

その① なぜに私がPTAの要職に⁉

 

 

 新年度が始まることに伴い、各種の組織が新たにスタートいたします。

 本園のPTA組織も、総会を経て新体制で活動を始めることとなります。

 会長をはじめとする役員、委員の皆様におかれましては、いろいろな経緯を経て今のお立場を担われていることと存じます。立候補をされた方もあれば、他薦による方もあるかと拝察いたします。

 さて、私事で恐縮ですが、私自身も息子が中学生だった時のPTAで副会長となった経験があります。

 正直に申し上げますと、私自身は消極性の塊のような人間ですので、とてもではありませんが自分から手を挙げるなどという選択肢は毛頭なく、いかにして回避するかということに全精力を注いでしまうのですが、そのような私が副会長などという要職に就いたのは、息子が小学校の頃に所属していた少年野球でお世話になっていた方が会長であり、その方からの熱意によって、ということが理由でした。

 「逃げる私」に「追う会長」の構図です。

 ある時は電話であったり、ある時は少年野球絡みの会合であったりと、その都度熱いお誘いのお言葉を賜りました。

「未来を担う子どもたちを支えるために力を貸してほしい!」

「学校を支援する立場に立つことで、子どもたちだけでなく持続可能な地域を一緒に作ることにもつなげていきたい!」などなど、日頃私が仕事をする中で大切にしてきた内容そのものをピンポイントに捉える内容ばかりでした。

 一方で、学校関係の仕事をしながらPTAにも携わるというのは周りを見渡しても例がなく、時間的にも、そして何より能力的に不可能なのではないかという不安が付きまとい、お返事を保留する日々が続きました。  

 それでも最終的にお引き受けするに至ったのは、その熱意の部分もさることながら、日頃仕事でPTAの皆様にお願いをしたり感謝の思いをお伝えしたりはするものの、自分自身が同じ立場に立つことで、皆様の日頃の思いや苦労の部分を体感することができるのでは、ということを感じたからでした。

 日頃発する自分の言葉が軽くならないようにしたい、という思いだったのだろうと思います。

 実際に取り組んでみて、基本的に同業ですので繁忙期の重なりやスケジューリングの困難さなどの大変さは想像以上のものがありましたが、学校現場に携わる機会が増える分、生徒の実際に触れたり支援の大切さを学んだり、他校PTAとの連携を図ったり、そして何よりも役員・委員同士で顔見知りになることができたりなどの実りある数多くの経験ができました。

 そして、我が家では実に妻がこのことをとても支援し、また喜んでもくれていました。

 ありがたく思うとともに、いささか不自然にも感じていましたが、後になって、「PTAは各家庭で一人」なるルールがあってのことと知り、私が絶叫したのは言うまでもありません。

私のことはさて置き、皆様と良い一年を紡いでいきたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

 

 ごあいさつ

 

 

 保護者会でお伝えいたしました通り、日頃皆様と個別にお話することがなかなか叶わないこと等を鑑みて、心に浮かんだ事柄を諸々とりとめもなく書き綴る形でのコラムをお送りすることといたしました。

 このことをきっかけに皆様と直接お話をすることができたり、日々子育てで大変な部分での力が少しでも抜けたりすることにつながればうれしく思います。

 タイトルをいろいろと考えてみましたが、コラムの内容が多岐に渡り立派なテーマに沿って書ける訳ではないことから、ストレートに「とりとめもないコラム」といたしました。

 我ながらひねりに欠け、どこか自信なさげなタイトルかとは思いますが、私自身も肩の力を抜きながら書いていきたいと思っています。

 週一回のペースでお届けする予定でいますので、隙間時間にでもご覧いただければ幸いに存じます。

 どうぞよろしくお願いいたします。