その㉙

 数値化できない内容の奥深さ

 

 

 今年も師走となり、世の中が慌ただしく動いています。

 幼稚園では、12月恒例の内容になりますが、保護者の皆様に学校評価の保護者アンケートを頂戴し、その分析なども進めるところです。

 にもかかわらず、何だか矛盾するようなことを述べますが、年々、「数値」「成果」「実数」等々、その場の目に見えやすいものが尺度のすべてであるかのような風潮を感じています。

 勿論、曖昧に事を流さず、尺度をしっかりはっきりとさせることは必要です。

 但し、一方では、数値化できない内容もあり、だからこその奥深さがあるものも存在するわけです。

 一例として、このようなエピソードがありました。

 大学進学を志す際、少なからず将来の展望を抱きながら学部や学科を選ぶことが生じます。

 とある大学で、文学部に入学した学生さんたちに対し、先生がこのように述べられたそうです。

 「文学部は、実用的なスキルを身に付ける場所とみなされないことが多いです。確かにそのような側面はありますし、ひょっとすると、皆さんの中には、そのことに不安を覚える人もいるかもしれません。」

 「しかし、文学なる世界を広く深く学べるのは、この4年間しかありません。文学部は実務スキルを身につける場所ではなく、学問を深め人間性を豊かにする場所なのです…」

 世知辛い世の中になればなるほど、目先の損得が気になったり、人の心にゆとりがなくなったりしがちになります。

 だからこそ、その一方で、人の心を豊かにできるものをしっかりと経験できるようにすることが必要であり、長い目で見れば、実務的な内容を深めることにもつながりやすくなるのではないでしょうか。

 幼児教育は、簡単には数値化できない内容がたくさんあります。

 子どもたちは、日々、様々な事象に出会い、友達や先生と関わりながら様々な内容を感じ、考えています。

 日々揺れ動く幼児の心の在り様などを簡単に数値化できてしまうことができてしまえば、これほど危険なこともありません。

 近年、「非認知能力」なる言葉を目にすることが増えました。

 人間には数値化できない大切な能力があることに着目され出したということでもありますので、喜ばしい傾向であると感じています。

 数値化できない、目に見えない部分をいかに読み取って、それらを伸ばしていくか、人と関わる上で大切にしたい視点の一つですね。

 

その㉘

 一瞬にして10万円以上が・・・

 

 

 

 

 あれは、忘れもしない21年前。

 第一子である娘の七五三を迎えた時のことでした。

 私の実家がある島根県では、七五三を特有の捉えで、男女ともに三歳のお祝いのみで行う「紐落とし」というお祝いをする風習があります。

(「紐落とし」というのは、三歳の時期に子ども用のつけ帯をとり、普通の帯で着物をとめ始める節目を指して古くから行われてきた、山陰地方独特の風習なのだそうです)

 その風習に抱き合わせる形で、三歳のお祝いを島根県に帰省して行おう、という計画を立てました。

 娘は、両家にとって「初孫」です。

 それはもう、その期待たるや相当なもので、皆で首を長くしてその時を待っていました。

 連休を使い、2泊3日のプランを立て、飛行機やホテルをはじめ、着物を手配し美容室や写真撮影、食事場所の予約などなど、たくさんの内容を楽しく進め、当日を待つばかりとなった、その出発の前日…。

 何と、娘が発熱したのです。

 親としての判断が迫られる時。

 「無理をすれば連れて行けなくはないかも・・・」という思いが頭をよぎります。

 また、既に納めたお金がどうなるのか、という現実的な数字も次々と襲ってきます。

 この時を楽しみにしていた人々の顔も浮かんできます。

 親としての情(エゴも含めた)と現実とを天秤にかけなければならない状況、まさしくそのものでした。

 そして、発熱する娘の姿を見て…

 「中止!」

 と決めました。

 その間、およそ5秒程度。(短い…) 

 もちろん、無念の極みでしかないのですが、「無理なものは無理」なのです。

 諸方面へのキャンセルの電話や、関係する人たちへの説明などなど、相当な時間も要しましたが、そこは粛々と行いました。

 結果的に、キャンセル料として10万円以上を支払うことになりましたが、こういうのを「勉強料」と言うのでしょう。

(そう思うしかありません)

 非常に高額な勉強料になりましたが、もちろん今でも選択は一択のみだったと思っています。

 年末年始が近づき、楽しい予定を立てる時期になりました。

 子どもの笑顔を第一に、心に残る形で過ごさせていきたいという親の情があるのは当然です。また、子どもの方から「大丈夫だから連れて行って!」という思いが出ることもあるでしょう。

 ただ、そこは親であり大人です。諸々の葛藤と向き合いつつも、その時の感情に流されることにならないように、適時適切な判断をしていくことも大切な「親業」の一つなのではないかと思います。

(もちろん、たくさんの痛みや失敗を重ねつつ…)

 

その㉗

 「そりゃぁ、そうかも知れませんが…」

 

 

 

 私が、小学校に入ったばかりの頃の話です。

 2歳差の兄と一緒に歩道を歩き、交差点にさしかかった際、反対側の車線から車が走ってきました。

 車は、右折しようとします。

 よくあるシーンです。

 私たちが横断歩道を通行できるよう、車は横断歩道前で一時停止してくれました。

 2人で横断歩道を渡ります。

 兄は小走りに。

 私は悠々と歩いて。

 私が横断歩道を渡りきり、そして待ってくれていた車が走り去ったその時、私は物凄い勢いで兄から怒られました。

 「???…」

 はじめは、意味が分かりません。

 が、怒られながら、少しずつ兄の言わんとするところの意味が分かってきました。

 理由としては、「車が待ってくれているのに、オマエは何をのんびりと歩いているのか?」ということで、要は人を待たせて平気な態度をとるな、ということでした。

 理屈や権利からすると、歩行者が優先ですので車は待たなければなりませんし、歩いて渡って良い場面でもあるのですが、兄としては、子どもながらにではありつつも、相手のことを慮れないでいる弟の態度に、イラッとしたのでしょう。

 怒られながら、「何もそこまで…」と思いつつ、「確かに自分本位だったかもなあ…」と反省した出来事でした。

 さて、飲食店などで、お客さんが店員さんに対して横柄な態度をとるシーンに遭遇し、ウンザリすることがあります。

 店員さんに対し、乱暴な言葉遣いで「いちゃもん」をつけたり、レジで現金を放り投げるかのように支払いをしたりするお客さんの態度を見るにつけ、「一体何様なんだろう?」と感じてしまいます。

(そのような御方に「何様ですか?」と聞いたところで、それこそ「お客様だろうよ!」と答えられることでしょうが…)

 確かにお客さんは、店側から「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」と言われる立場かも知れませんが、そこはやはり「こちらの方こそありがとうございました」の姿勢であるべきで、それがバランス良く保てるからこそ、互いに気持ち良い関係でいられるのではないでしょうか。

 知らず知らずのうちに、できている立場や関係性にあぐらをかくようなことをしていると、結局のところは自分に厳しく突き刺さるかのような形で還ってくるように思います。

 状況に流されることなく、相手を慮れるマインドを忘れずに持ち続けていきたいものですね。

 

その㉖

 先進技術との個人的な戦い

 

 

 一向に進歩しない私のことはさて置き、世の中は日々良くも悪くも進歩しています。

 特にITに代表される分野は、今後も予想がつかないスピードで発展していくことが予想されます。

 毎年のように、AI対人間の将棋対決なるニュースが取り上げられることもあります。 

 技術の発展は期待しつつも、どこかで最終的には人間に勝ってほしいという願いをもってしまいます。

 その中で、ささやかながら、将棋対決のレベルでは全くありませんが、私も密かに先進技術と対決しています。

 それは、「睡眠トラッカーとの戦い」です。

 お使いの方も多いかと思いますが、スマートフォンやスマートウォッチ等で睡眠の質を可視化する、という機能があります。

 これがなかなかの優れものであり、睡眠の深さや昼寝の時間まで測ってくれるため、随分とお世話になり、その都度一喜一憂しているところです。

 一方、それだけで素直に満足していれば良いのですが、全てにおいて人間が敗北しているようなひねくれた思いにもさせられてしまいました。

 そう思うと、どこかに隙がないものなのか、という気持ちも生じてきます。

 「本当にあなた(機器)は私の全てを分かっているのですか?」という思いをどこかにもちながら向かい合うようにもなってきました。

 そうこうしながら向き合い続けてきた結果、一つだけ、盲点を見つけました。

(自分でも一体何をやっているのかと思いつつ…)

 それは、「電車でうたた寝をしている時は計測されない」ということです。

 電車ならではの振動がそうさせるのか・・・?それとも相当に浅い眠りであるからなのか・・・?

 理由は定かでありませんが、明らかに測定はされていません。

 その都度、ささやかな優越感に浸っている自分がいます。

 今後、機器の精度はますます高くなるでしょうから、私が敗北するのは時間の問題なのでしょうが、今後も見えない駆け引きを繰り返しながら先進技術に向き合っていきたい!と気持ちを新たにした次第でした。

(その前に、電車でうたた寝をしない生活をする方が大切であることはよく分かっているのですが…。情けない話です)

 

その㉕

  時代はゆるやかに良き方向に

 

 

 

 

 

 我が家では、決まって土曜日の朝のテレビは、妻のチョイスの下NHKのBS放送が流されています。

 内容は、過去のNHK連続テレビ小説です。

 皆様もご経験があるかと思いますが、絶妙な放送時間の長さで、その後のストーリーに自ずと引き込まれていく不思議な力があり、いつしかそれなくしては一日のリズムを刻めなくなってしまうようなところもあるように感じています。

 ある日、私が目を覚ましてリビングに行ったところ、その時は、「おしん」が流されていました。

 「おしん」と言えば、1980年代に放送された、戦中・戦後をたくましく生きた女性の一代記とされ、何と平均視聴率が52.6%で、最高視聴率が62.9%(!)と、日本のドラマ史上最高視聴率を誇る伝説的ドラマです。

 私が目にしたシーンは、田中裕子さん演じるおしんが、恐らくは実家に帰ろうとしていたところをご主人に咎められ、押し問答状態になっているところでした。

 そして、驚愕のシーンが訪れます。

 おしんがご主人の制止を振り切る形で走り去ろうとしたその時、「コラっ!!」とばかりにご主人がおしんをひっぱたいてしまったのでした。

 その勢いに吹き飛ばされてしまった形のおしんの倒れた場所にはちょうど運の悪いことに大きな岩があり、そこに側頭部付近を打ちつけてしまったおしんは気絶してしまいます。

 ご主人は、我に返った形で、「おしん…大丈夫か?」と駆け寄る、といったシーンでした。

 今の世ならば到底あり得ないシーンで、私もしばし立ち尽くしてしまうような光景でした。

 ご主人!駄目です!

 大丈夫か? ではないでしょう!?

 と言う他はないとんでもない姿なのですが、同時に感じたのが、リアルタイムに放送されていた時は、このようなシーンがあっても今ほどには違和感を覚えることが少なかったのではないか、ということでした。

 コンプライアンスなる言葉が一般的に知られるようになり、それに伴った各種対応も進められているところです。

 いささか行き過ぎてはいないか、ちょっとヒステリックなのではと感じることもありますが、全体的に見れば、少しずつ良い方向に進んでいると捉えることもできるかと思います。

 そのような観点で見れば、例えば、まだまだ課題はたくさんあるにせよ、障害のある方々への内容についても、条件整備や意識啓発が進んでいるところですし、各種の差別なる内容についても、良い意味で、本来あるべき内容を考えることが増えてきたと感じます。

 生きていると、目先の細かい内容に翻弄されることが多く、それによるストレスを感じることもある中ですが、物事を俯瞰して見てみると、案外ゆっくりながらも全体的には良い方向に向かっている内容もあるのでは、と思うところです。

 それにしても…

 ご主人!

 やっぱり、ひっぱたいては駄目でしょう!

 対話ですよ、対話!

 

その㉔

 病院での取組に

 

 

 

 訳あって、定期的に大きな病院にお世話になっています。

 私のことはさておき、今回はその病院での取組について、お伝えしていきたいと思います。

 病院には、各種の案内が掲示されています。

 内容はご想像の通りで、検診のお知らせや保険証について、病院独自の先駆的取組など、様々です。

 私もいち患者として、諸々の掲示物を何気なく眺めていたのですが、その中に、大きなポスター大の掲示物がありました。

 目に飛び込んできた、大きなタイトルは・・・

 「第○回 院内コンサートのお知らせ」でした。

 内容を拝見するに、この病院独自の取組で、病院関係者で楽器の経験がある有志が集って行なうコンサートで、観客は、入院されている方々や病院の職員の皆様、という設定になっていました。

 ポスターは、巷で見られるコンサートと同じテイストで作られており、下段の方には演奏者の顔写真と担当楽器が一覧となって表示されていました。

 例えば、「ピアノ 耳鼻科 ○○先生」、「トロンボーン 看護師 △△さん」、「チェロ 医療事務 □□さん」「サックス 検査技師

◇◇さん」といったように、立場を問わず、演奏者という共通項の下、有志が集っているという感がとても伝わってくるものでした。

 そして、ポスターの中央には、過去のコンサートの写真が大きく表示されていました。

 病院の大きなロビーを会場に、入院着の方々や制服の方々が観客となって集い、そこに弧を描くように各楽器を手にした演奏者の方々が奏する写真でした。

 拝察するに、入院されている方々へ、なかなか入院生活では経験することが困難な潤いのある時間を提供したいという心あたたまる取組なのでは、と感じました。それだけでなく、病院関係者の方々にとっても、演奏者として表現できるサークル的な要素や、仕事のストレスなどから解放され、リフレッシュできる要素もあるように感じられ、何とも素敵な取組だなぁ、と、素直に感じました。 

 是非一度だけでも拝見したいと思いつつ、そうするには入院するしかない訳ですので、素敵なイメージを膨らませるのみにしているところです。

 と、同時に感じたのが、

 「これは、まさしく本園の取組そのものじゃないか!」と。 

 本園の開園70周年を記念するにあたり、「音楽」をコンセプトに様々な取組を行なってきましたが、記念式典の日に行なう演奏会がまさしくこの形です。

 演奏者は、保護者・教職員有志であり、立場等関係なく「音楽」という共通項の下、楽しみながら練習を重ねてきました。演奏会のプロデュースはOG保護者の方、身内関係者でプロの歌手をお招きすることもでき、いよいよその時を迎えることとなりました。

 お客さんである子どもたちも参加できる要素を設けて、皆で一緒に楽しめるひとときとする予定です。

 私自身は、これまで度々お伝えしている通り、全く音楽の心得がない人間なのですが、「音楽」は、個を豊かに成長させてくれるだけでなく、人に潤いを与え、人と人とをつなげてくれる面もあるように感じています。

 「音楽」のもつ素晴らしさに触れることができたこと、そのものが何よりうれしく感じる日々です。

 

その㉓

 水戸岡 鋭治さんとのこと【後編】

 

 

(前回の続き)

 緊張しながら、水戸岡さんのデザイン事務所へ。

 スタッフの方に案内され、応接室へ通していただきました。

 するとそこは・・・別空間!

 家具や照明(照度)、装飾の細部に至るまで、水戸岡さんの世界が展開されている素敵な空間でした。

 しばらくして、水戸岡さんが入室されました。

 温和な笑顔で柔らかな佇まいは、テレビや雑誌で拝見した通りの水戸岡さんでした。

 その時点で、既に私は「生きていて良かった・・・」の心境です。

 夢心地のままでいたい自分を必死で制しながら、インタビューを始めました。

 幼少期の頃の思い出や、この仕事を志したきっかけ、仕事の中で大切にしていることなどなど、少しでも多くお話を伺いたい思いでいっぱいでした。

 が、水戸岡さんのお人柄の賜物により、インタビューはいつしか雑談満載の豊かな内容となりました。

 自然がいっぱいの中でたくさん遊んだ幼少期の頃や、勉強は嫌いでも絵は好きだったという小学校時代のお話。

 あの独特のデザインについては、最新鋭の技術を駆使し、敢えてクラシックな内容を作るようにしているということでした。

 素材も、「本物」を使い、手間暇をしっかりとかけることを大切にされているということでした。それは子どもたちに必ず伝わる内容であり、本物の素晴らしさを敏感に感じることで、物を大切に扱いその頃の思い出を自分が大人になった際に次の子どもに提供したいと思えるようになり、最高の物を作り出す、ということを繰り返す流れも生まれるからなのだそうです。

 豪華列車の内装も、イメージされているのは3世代が一緒に笑顔で旅をする姿なのだそうです。笑顔でコミュニケーションを交わすことで、自ずとおじいちゃんやおばあちゃんは経験や能力を発揮し子どもの意識は尊敬に変わっていき、公共の意識も身につくため、それができるようにするためのイメージをもちながら、シートや机、子ども用の椅子などを手掛けているということでした。

 そして、何より私が水戸岡さんに感銘を受けたのは、「子どもたちの笑顔が最上位にある」という明確なお考えをお持ちであるということでした。そのために「ヒト」「コト」「モノ」が出会えるよう、情熱をもってお仕事をされていることが非常に伝わってきて、自分自身の仕事への向き合い方を改めて考えさせられる貴重な時間にもなりました。

 心からの御礼を申し上げて水戸岡さんとお別れをし、数日後。

 我が家に宅急便が届きました。

 ずっしりと重たい段ボール箱です。

 送り人欄には、「水戸岡鋭治」とありました。

 「!!」・・・腰を抜かしながら段ボール箱を開けると、その中にはたくさんのご著書と、息子に宛てた直筆の手紙が入っていました。

 帰り際に住所を聞かれたため、「・・・?」と思っていたのですが、まさかのBIGサプライズでした。

 と同時に、お会いした際の1シーンが蘇ってきました。

 今回、息子の卒業文集がきっかけで、インタビューが実現できたことがあったため、図々しくもその文章を持参したところ、とても喜んでくださりました。が、文章をご覧になった途端、それまでの柔和な表情が一転され、終始無言で文章を凝視されていたのです。

 そのお姿は、「子どもたちの笑顔が最上位にある」からこそであるように思われました。

 そして、次世代に思いをつなげたい、という優しさの中にも熱いメッセージを込めてくださったように感じています。

 うれしさとともに、その重みを感じる素敵な宅急便でした。

 じっくりしっかりと内容を拝見した後に、親子で御礼のお手紙をお送りしましたが、少しでも思いをお届けできていれば、うれしく思っています。

 水戸岡さん(敢えて親しみを込めた敬称で失礼いたしました)はまさしく「ななつぼし」に輝く素晴らしいお方でした。

 いつまでも感謝の思いでいっぱいです。

 

その㉒

 水戸岡 鋭治さんとのこと【前編】

 

 このところ続いていた、電車シリーズの総決算的内容です。

 イラストレーター・工業デザイナーの水戸岡鋭治さんについて。

 お名前をご存知でない方も、その作品は何らかの形で目にされたことがあるかと思います。

 例えば、

 「ななつ星in九州」、「ソニック」、「ゆふいんの森」、九州新幹線「かもめ」など、JR九州の豪華列車の数々。

 駅舎では、大分駅や富士山駅など多数。

 その他、

 「ロイヤルエキスプレス」や「富士山ビュー特急」、箱根遊覧船「クイーン芦ノ湖」、池袋周遊バスの「IKEBUS」、「さいたまスーパーアリーナ」も水戸岡さんのデザインです。

 思わず目を引くデザイン、また、列車などでは西陣織のシートやすだれ、金箔を用いるなど、内装が非常に豪華なことも特徴です。

 我が家でも、息子が小さい頃の図鑑などをきっかけに水戸岡さんの存在を知り、新型の車両や建造物がニュース等で取り上げられる度に注目していました。

 その経験の積み重ねがあったからなのでしょう、息子の小学校の卒業文集(将来の夢)は、水戸岡さんのことが書かれていました。

 そのくらい雲の上の存在であった水戸岡さんですが、奇跡が生じ直接お目にかかれる機会を得たのでした。

 それは凡そ5年前のこと。

 私の仕事絡みの内容で、著名人へインタビューを担当する機会を頂戴したことがありました。

 それだけでもうれしいことなのですが、著名人の選定にあたっては、担当の希望を優先してもらえたため、私は迷わず水戸岡さんを希望したのでした。

 ここまでの素敵なデザインを手掛けられる方の豊かな感性に触れてみたい、ということや、仕事に対するポリシーの部分、人を大切にされている強い何かがあるように感じたことが理由です。

 私の希望は通り、水戸岡さんサイドに交渉をすることに。

 とは言え、全く縁もゆかりもない人物が交渉するわけです。相手にすらされない可能性も十分にありましたが、そこは素直に思いの丈をお伝えするつもりで、且つ公私混同は承知の上、息子のことも盛り込みながら人生の全てを賭けて(!)ご連絡しました。

 その思いが通じたのか、直ぐさまご快諾いただけました。

 本当にこのようなことが現実的に起こって良いのだろうか・・・、と信じられない気持ちをもちつつ、水戸岡さんの職場である事務所へ向かいました。

 (次回へ続く)

 

その㉑

 「ヒト」タイプ?「モノ」タイプ?

 

 

 

 あくまでも数々ある見方のひとつとしての捉えではありますが、子どもの遊びの傾向を大別すると、「ヒト」タイプと「モノ」タイプに分けられるのだそうです。

 「ヒト」タイプは、例えばままごとやごっこ遊びのような、主に人とかかわることを楽しむことが好きな幼児のことを指し、「モノ」タイプは、工作などの物とかかわって遊ぶことが好きな幼児を指すということになります。

 なるほど、確かにどちらか、と言われれば「ヒト」か「モノ」かに分類されるような気がしてきます。

 そして、今の時代にはそぐわないところもありますが、重ねての傾向として、「ヒト」タイプは女児が多く、「モノ」タイプは男児が多い、ともよく言われていました。

 親の心配事のひとつとして、「ウチの子、黙々と一人で工作ばかりして、友達と遊ぼうとしないんです・・・」といったような内容がありますが、「モノ」タイプであるからこその姿、と捉えることで気持ちが幾分楽になるような気もしてきますね。

 只、傾向だからといってそのままにしておけば良いのではなく、相応に各種の経験ができるようにし、「ヒト」と「モノ」それぞれの楽しさや醍醐味が味わえるようにもしていきたいですので、幼稚園では、時期や発達に応じて幅広い経験ができるようにしています。

 「どちらかと言えば、「○○」タイプかなぁ・・・?でも、どっちの経験も楽しいよ!」となってくれることが理想ですね。

 さて、ここからは私の偏見になりますが、子どもにタイプがあるのならば、「実は大人もタイプがあるのでは・・・?」と思い、意味もなく一人であれこれと考えてみました。

 行き着いた答えは、「しゃべる」(方が好きな)タイプと「書く」(方が好きな)タイプです。

 本当に私見なのですが、人とのかかわりにおいて、どちらの方が自分の思いを伝えやすいですか、と聞かれた際に、この二つに分類できるような気がしています。

 「しゃべる」方は、基本的に対面でできること、瞬時に数多くの言葉を発することができるのが特徴ですが、デメリットとしては、一度口に出した言葉は訂正が効かなくなるため、相手に応じつつ、一定の慎重さも必要になる、というところが挙げられるかと思われます。

 一方、「書く」方は、考えながら訂正も加えつつ表現できる余地があること、デメリットにもなりますが、形に残るため繰り返し見ることもできることが特徴かと思われます。

 かく言う私は、このようなコラムを書いていますので、どちらかと言われれば、「書く」タイプなのかも知れません。

(とは言え、この文章も何度書き直していることか・・・↘)

 そして、先ほどの子どものタイプと同様に、「しゃべる」「書く」双方のバランスが楽しく取れるようになれば、理想ですね。

 

その⑳

 親としての情とブレーキ

 

 

 運動会が、近づいてきました。

 青空の下、子どもたちが伸び伸びと体を動かす一日となることを心より願っています。

 私の子どもの頃、運動会は春と秋の二回行なわれていました。

 できないこと尽くしの自分にとって、運動会はアイデンティティが持てる唯一の時でしたので、とても楽しみにしていました。

 このあたりは人それぞれにはっきりするようで、「嫌な思い出しかなかった」という方もいるように思います。

 「嫌」の内容も様々かと思われます。

 例えば・・・

 ○やりたくないことを強引にさせられた

 ○運動が大の苦手で結果が見えているのに、何度も繰り返し取り組む中で劣等感が募った

 ○集団の見栄えばかりを求められ、楽しくなくなった

 ○大勢の観客の前で失敗してしまい、心の傷になった

などなど。

 さて、子どもの頃はさておき、親となって我が子の運動会を見る立場になると、自ずとモードが変わってきます。

 私も親の一人として感覚的に分かるのですが、我が子に対して「親としての期待」が日に日にどんどん膨らんできます。

 そのことを認識していれば良いのですが、何せ大きな行事です。知らず知らずのうちに、子どもに対して過度な期待(要求)をしてしまう傾向もあるのではないのでしょうか。

 やはりそのあたりは、子どもの気持ちを第一に考えるべきです。只でさえ、大きな会場で大勢の人々がいるというシチュエーションです。張り切ってできる子どももいれば、当然緊張感を強く感じる子どももいるはずです。

 意欲的か否かで我が子を一律に評価するのではなく、大きな行事を目の前にした我が子はどのような心持ちでいるか、その気持ちに添った温かいかかわりこそ、大きな行事の際には必要になります。

 親としての情が強く出やすい時こそ、ブレーキをかけるかの如く「冷静に」行動できる大人になりたいものですね。

 逆に、「情」のアクセルを踏み続けると・・・

 本園ではそのようなことはありませんが、ニュース等で運動会に対して熱くなりすぎる大人の姿が報道される度に心が痛くなることがあります。

 早朝より歩道を占拠して長蛇の列を作る姿や、観覧・撮影の際のルールを「いいんじゃね?」とばかりに平気で破る姿、中には酒気帯びで大声を上げての観戦や、宅配ピザを注文し会場に届けさせるといった呆れた姿を目にするにつけ、本当に子どものことを想っての態度なのかと、大人の在り方そのものを根本から問いたい思いになります。

 せっかくの機会ですので、楽しく充実した時にしたいと願うのは子どもも保護者も教師も、皆同じです。

 決して子どもを置き去りにするような行事にすることのないよう全員で共に行事を創っていくという心持ちでいたいものです。

 だからこそ、大人は情のままに熱くなるだけではなく、我が子が一番笑顔で伸び伸びと参加できるように促し見守ること、そして、自分の子どもだけでなく、幼稚園の子どもたち全員に対して肯定的であたたかなまなざしを送ることが大切に思います。

 運動会は、ショー的要素を第一とするものではなく、学校行事として子どもたちの発達に資するために行ないます。

 大人も子どもも「自他共栄」を体感できるような行事となることを心から願っています。

 

その⑲

 月島ドリームライン

 

 

 

 10年くらい前、息子に連れられて(また?)伺ったことのある街について少々記していきたいと思います。その街とは、千葉県の佐倉市ある、「ユーカリが丘」というニュータウンです。

 予備知識のないままに駅に降り立ったのですが、まず受けた印象としては、「とても考えられて整備されている街だなぁ」ということでした。

 きれいな建物が多いこともありましたが、広い公園や公共の施設や送迎サービスなど、子育て世帯、高齢者世帯だけでなく、幅広い世帯の方々に対するきめ細やかな施設やサービスが充実している感を受けました。

 なぜこの街に訪れたのか、の理由は一つ。その街で走っている「山万ユーカリが丘線」に乗るためにです。

 ユーカリが丘の名前そのままに、コアラのラッピンがされているとてもかわいらしいデザインで、分類としては「新交通システム」になります。

 全長距離は4.1㎞と、この街の中のみを走る電車です。運営は、何と!不動産会社(山万)という、とても珍しい路線です。

 また、驚くことに、6つある駅の全てがニュータウンの住居から徒歩10分圏内になるよう配置されているという、この街に住む人にとってとてもうれしい路線となっています。

 違った視点の特徴としては、エアコンが付いていません(・・・!)だた、私としては何だかそれも味がある感がして、また機会があれば乗ってみたいなぁと思う素敵な路線です。

 さて、このようなことを考えていたところ、妄想が・・・。

「月島にも、このような路線があったら・・・」と。

 月島地区は、東京メトロ有楽町線や都営大江戸線、各種バス網も整備されており、便利な街なのですが、人口が多いこともあり、私としては、僭越極まりないのは重々承知しつつも、もう一つ路線があれば、と思うところがありました。

 そこで、私は一人構想を練りました!(暇なのか何なのか・・・)

 出来上がったのは、月島地区を環状線的に走る新交通システム。

 名付けて、「月島ドリームライン」です!

 大通りが多いことの利を生かして、通りの中央分離帯部分を使い街の景色も楽しめる形で、モノレールを作るのです。

 モノレールは、懸垂型(ぶら下がっているタイプ)一択!です。

 懸垂型のモノレールは、眺めが良いことが特徴です。街ゆく人々からも見えやすく、お互いに手を振り合う姿が目に浮かびます。

 運転間隔は5分おき、にしましょう。人の巡りを良くすることで各種の活性化にもつながるはずです。

 子どもたちには、フリーパスを支給します!

 同伴の大人は無料とします!

 ご高齢の方も同様です!

 (バラマキ・・・?)

 楽しい妄想は、いつまでも続きます。

 が、ふと気付きました。

 「し・・・資金は・・・?」

 肝心なことを忘れていました。

 因みに、同じく懸垂型の千葉都市モノレールの総工費は、1537億円だそうで、例えばそれを月島地区の居住・在勤されている方(凡そ9万人)で割ったとすると、一人あたり170万円以上!

 ・・・卒倒です。

 私の夢の路線は、無残にも絶たれてしまいました。

 

その⑱

 ノスタルジック・・・

 

 

 まだ続くかという感じですが、息子との旅行記になります。

 前回・前々回の内容の他に、息子からリクエストがあったのが、「500系新幹線に乗りたい!」でした。

 500系新幹線とは、1997年に「のぞみ」として運行された新幹線です。近未来的なロケットのようなデザインが話題を呼び、当時の時速300㎞のスピードは、ギネス記録にも認定されたほどでした。現在は、JR西日本区間内で「こだま」として運行されていますが、2027年に完全引退が決まったため、「乗るなら今しかない!」となったのでした。

 お財布役の私が、チケットの申し込みも担当します。

 早割などの特典があるという理由により、JR西日本専用ネット申し込みを息子から命じられました。

 そして、更に「6号車の座席をとってほしい」と追加オファーがありました。

 「なぜにまた?」と問うたところ、息子は、「だから君は分かっていないね」といった表情で、「普通車の料金でグリーン車に乗れる」と言うのです。

 一体全体、意味が分かりません。

 よくよく聞くと、経緯がある話のようでした。

 「のぞみ」から「こだま」に仕様を変えるにあたり、グリーン車を普通車化することになったのだそうです。その際に、枕やフットレストなどは撤去するも、座席そのものはグリーン車時代のものを使用することとなったため、2列2列の贅沢な座席はそのまま残ることとなった、という内容でした。

 半信半疑ではありましたが、言われた通りに頑張って(!)発売初日に席を予約しました。

 予約の状況を見たところ、確かに圧倒的に6号車の予約が入っており、知る人ぞ知る内容であることを感じさせてくれます。

 そして、いよいよ当日を迎えました。

 区間は、岡山→新大阪です。

 「地域活性化のための記念コラボ」とのことでラッピングされた「ハローキティ号」が岡山駅のホームに入ってきました。

 私には不釣り合いなデザインであることは承知しつつ、ドキドキしながら6号車へ。

 「お・・・おぉっ!」

 そこには、本当に普通車料金で良いのか、と思わせる、ゆったりとしたシートが我々を待っていました。

 グリーン車そのもの、といった重厚感ある佇まいです。

 ゆっくりと腰掛けると、

 「あぁ・・・(幸)」と声にならない声が出てきます。

 まるで子どものようにはしゃぐ私を、息子はあたたかなまなざしで眺めていました。

 そして、私は目を閉じ、またしても眠りに落ちつつ、息子との日々を回想するのでした。

 思えば、2,3歳の頃から暇さえあれば電車に乗っていろいろなところに出掛けていました。

 息子は20歳の年齢ですから、それこそ20年近くもこのような日々を過ごしていた、ということになります。

 息子の成長に伴い、その距離は長くなり、また、内容もどんどんマニアックになり、そしていつしか旅の全てを息子がプロデュースするようにもなりと、内容は変わっていきつつも、一つ一つの体験全てが私にとってはかけがえのない思い出となっています。

 そして、今も変わらずに、このように一緒に出掛けてくれることそのものが私としては最上の幸せです。

 今回の旅も、一生ものの経験となりました。

 親バカですが、息子には「ありがとう」しかありません。

 願わくは少しでも長くこのような時が続いてくれれば、と心から思ってもいます。(エゴですね)

 私の密かな夢、それは、将来「リニアモーターカー」ができた時に一緒に乗ることです。

 その時は、もちろん息子だけでなく家族全員で。

 ノスタルジックな内容のはずが、何だかセンチメンタルになってしまい、失礼しました。

 500系は、引退間近です。乗るなら今!号車は6号車です!

 

その⑰

 トラウマとの決別

 

 

 

 

 前回に引き続き、息子との旅行記になります。

 今回の旅の目的の一つとして、各所を回りながら数年ぶりに私の生まれ故郷である島根県の方に行くことがありました。

 特に東日本にお住まいの方は馴染みが薄いかと思いますが、陸路で島根県に行くには中国山脈を越えることになりますので、これがなかなか難儀な内容になっています。

 中国山脈を越える路線は、JR伯備線です。

 国内でも珍しいそうなのですが、この伯備線は山間部を走るにもかかわらず、トンネルが少ないことが特徴になっています。

 風光明媚な景色を楽しめることが最大の魅力なのですが、一方ではカーブが多いことになります。

 カーブの度に速度を落としてゆっくりのんびり走るで良いように思いますが、乗り物に時短が求められるのも世の常です。

 そこで、カーブが多くてもスピードを落とさないように走行できるように、と開発されたのが「振り子式」と呼ばれる車体を大きく傾けながらも走れる技術でした。

 そして、1982年にその技術を特急「やくも」に取り入れて、高速走行が実現できたのでした。

 他方、それまであった食堂車は廃止され(テーブルから食べ物が落ちるほどに傾くということを意味します…)、何より乗り物酔いを誘発しやすい大きな要因にもなりました。

 私は、乗り物酔いをしやすい子どもだったため、「やくも」に乗る=エチケット袋にお世話になる、でその度に憂鬱な思いでいたことを覚えています。

 特急「やくも」の区間は、岡山⇔出雲です。

 やくもを使って上り路線で岡山から新幹線に乗る度に、新幹線のスピードと揺れの少なさを感じ、下り路線で岡山からやくもに乗る度に、その逆を感じたものでした。

 そして、この「やくも」は、国鉄時代(・・・!)からの車両を使い続けたことで有名で、鉄道ファンから親しまれてもいました。

(日本最古の特急ということになります・・・)

 が、いよいよ…!約40年ぶりに新型車両に置き換えられることになり、今年度満を持してお披露目となったのです。

 今回は各所を回ったため、上り方向のみ片道乗車となりましたが感無量の時。息子と二人、ホームにて新型車両の到着を待ちます。

 やってきたのは、ブロンズ色に輝くこれまでとは全く違う装いの「やくも」でした。

 この時点で、旧国鉄色の肌色車両時代の思い出が払拭されます。

 「あぁ・・・生きていて良かった・・・」

 心から幸せな気持ちになりました。

 そして、車内の気持ち良さと言ったら、これまた格別でした。

 国鉄特急にありがちだった、独特の臭いは皆無。

(全車両に空気清浄機が搭載されたのだそうです)

 明るいLEDの照明で照らされた車内は、沿線の山々をイメージした、緑色を基調とした体全体を包み込むようなシート(新幹線と同じシートピッチなのだそうです)が設えられていました。何でもJR西日本では初となるリクライニング角度に合わせて座面角度が変化する「チルト機構」を採用されたとのこと。その他、内装は、温もりある木材を贅沢に使用されていました。Wi-Fiやコンセントも完備。大型荷物収納スペースも有りと、至れり尽くせりです。

 また、うれしいことに小さなお子さん連れやグループ旅行に最適な「セミコンパートメント席」があります。人数分の普通車指定席料金で利用でき、特別な追加料金は不要!という、こんなに幸せで良いのかと思わせる仕様です。

 最大の懸案事項であった、乗り物酔いを誘発する「振り子式」については、国内初となる「車上型制御付自然振り子方式」が採用(私はまだ理解が追いついていないのですが、息子曰く、「振り子の戻り幅がこれまでとは違う最新鋭の技術」なのだそうです)され、快適極まりない乗り心地となっていました。

 更には、車内放送前に流れるチャイムは、偶然にも私と同じ出身地である、山陰ゆかりの「Official 髭男 dism」の楽曲が使用されており、(下りが『I LOVE...』、上りが『Pretender』です)考えに考えられて制作された特急になったことを感じさせてくれました。

 「し、幸せすぎる・・・。」

 そして、お約束のように、私は、『Pretender』のメロディを聴きながら深い眠りに落ちたのでした。

 気がつけば、そこは、終点の岡山駅・・・。

 私のトラウマの全てが払拭された、極上のひとときでした。

 前回同様、お時間とゆとりがあれば、是非!オススメです!

 

その⑯

  折角のVIP体験が・・・

 

 

 

 幼少期から鉄道が大好きな息子に合わせる形(実は私の方が)で、毎年どこかの地域に二人で旅をするようになり、随分経ちました。

 今年の夏も、その機会がありました。

 行程は、全て息子(大学2年生)が考えます。

 私はというと、専ら現地での食事場所を探す担当で、自ずと役割分担ができるようになりました。

 今回は、名古屋で落ち合い、そこを起点に各所を回るという行程だったのですが、その中で、「大阪から名古屋まで、新幹線ではなく近鉄特急ひのとりに乗らないか」という提案がありました。

 東京住まいの人間からすると、関西方面との往復は、ほぼ新幹線となるのでしょうし、私自身、関西に住んだ経験もありませんので初めての経験です。興味津々にその提案に乗ることにしました。

 すると、次に、息子から悪魔のささやきが…。

「プラス900円課金すれば、プレミアム車両に乗れるよぉ。」

「どうする(微笑)?」 と。

 そして、追い打ちをかけるように、普通席とプレミアムシートの写真を見せ、その明らかな違いをプレゼンしてくれます。

 「プ、プ、プレミアム・・・?!」

 私の中で、プレミアム車両と900円とが両天秤にかかります。

 「新幹線のグリーン車料金に比べれば、900円という料金は、明らかに安い…。とは言え、900円(×2名)あれば、その分でちょっと贅沢もできるし…。」

 散々悩みましたが、滅多にない機会であること、鉄道に乗ることを楽しむ旅でもあるため、プレミアム車両に乗ることにしました。

 ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、この特急ひのとりは超豪華リゾート特急です。

 それだけでもドキドキものなのですが、プレミアム車両なんて!これはもう、一生の思い出になるような気がしてきました。

 そして、待ちに待った当日です。

 始発駅の大阪近鉄なんば駅。

 ネット予約した指定席券を、発券してもらいました。

 乗車券は、これまた息子の提案により、随分安くなるとのことで金券ショップから購入することに。

 確かに、定額と違います。また、ショップにより金額も様々でしたので、二人で何軒もショップをはしごしながら(と同時に、我々は何をやっているのだろうかとツッコミながら)リーゾナブル?に購入することができました。

 改札を通り、ホームへ。

 「ひのとり」が入線してきました。

 その名の通り、黒と赤を基調にした豪華列車の佇まいです。

 二人で、思わず「おお…」と声にならない声が出てきます。

 いよいよ、お待ちかねのプレミアム車両へ。

 と、そこはまさしく別空間でした。

 ほぼ全面ガラス張りの車両、且つふかふかの絨毯、そして、二列一列仕様のゆとりある座席幅のプレミアム座席が圧巻でした。

 重厚感ある革張りソファー、電動でレッグレスト(足乗せ)まで連動して動くリクライニングのシートです。

 更にうれしいことに、シートをフルに倒しても後ろの座席に迷惑をかけない配慮溢れる完璧な作りになっています。

 二人は、もはや「おお…」としか言えない状態です。

 プラス900円でここまでのプレミアムな体験ができるとは…、この料金設定は適正なのだろうか・・・?という気もしてきました。

 「ひのとり」が、ゆっくりと動き始めます。

 「お、おお…」

 夢心地、そのものです。

 にもかかわらず、幸せいっぱいに包まれたその時、事もあろうに幸せ過ぎた私は、そこから寝落ちしてしまったのです。

 そして、目覚めたその時、そこは終点の名古屋でした。

 何たる不覚…!乗車時間凡そ2時間のほとんどを、リアルに夢の中で過ごしてしまったのです。

 折角のVIP体験なのに、何と勿体ないことを…!

 悔やんでも悔やみくれないところでしたが、考え方によっては、2時間「完落ち」できるほどの作りでもあったということです。

(必死にそう思うことにしました)

 一度とは言わず、何度でも乗ってみたいと心から思える、素敵な特急でした。

 お時間と900円のゆとりがあれば、是非!オススメです。

 

その⑮

 有事との併走

 

 二学期が始まるタイミングに合わせるかのように、台風10号が襲来しました。

 台風に限らず、ここ数年は特に頻発する線状降水帯や大きな地震の影響を受ける機会が増えています。

 こちらからすると、折角の二学期のスタートですので、心穏やかにさせてほしいと願うところなのですが、人間の事情はお構いなしに訪れるのが自然災害です。

 一年の中で、9月は「防災月間」、8月30日から9月5日までを、「防災週間」と定められています。

 関東大震災が発生した日が、1923年9月1日(「防災の日」)1959年9月26日には、伊勢湾台風が発生するなど、9月は自然災害が多いことが特徴です。

 特に台風では、この時期が最も多く発生することもあり、今後も気が抜けないところです。

 これからも、予想できることの方が少ないような気がしてならず、いかにして有事の際に柔軟な対応がとれるかが問われているように感じます。

 特にこれからの時代は、有事があることは当たり前と捉え、併走するかのような感覚をもっておく方が良いのかも知れません。

 幼稚園での集団生活は、楽しい経験が基本にはなりますが、有事の際の対応など、集団生活だからこそできる経験もあります。

 夏休みを経て、皆と再会できることを喜びながらも、生活の中で必要な経験を思い出しながら幼稚園生活を紡いでいきたいと考えています。

 二学期も、何かとご協力をいただいたり、時には柔軟な対応をお願いしたりすることも多いかと思いますが、これまで同様、どうぞよろしくお願いいたします。

 

その⑭

 ある時は、風流?

 

 年々その時季が早まる感がするところですが、夏真っ盛りの暑さを迎えました。

 水遊びが心地よい季節でもあります。

 本園のプールは屋外ですので、日々気温と水温、湿度の状況を見ながら実施の可否を判断しています。

 さて、屋外プールならではの風景ですが、風で飛来する落ち葉や虫が水面に浮かぶことがあります。

 その際の子どもたちの反応は、実に様々。「おおっ!」と驚く声もあれば、「うわぁ~!」「やめて~!」の声もあります。

 プールに浮遊物があるのは望ましいことではないため、その都度取り除いているのですが、不思議なことにこれがプールではなく、露天風呂であれば風流な絵にもなる訳で、何だか人間の心持ちって不思議なものだなぁ…と感じることがあります。

 このように考えると、案外シチュエーションや枠組みを工夫することで、これまで抵抗感を強く示していたような内容が逆に楽しいものになる可能性も秘めているような気がしてきます。

 人間、知らず知らずのうちにルーティーンな生活を続けてしまうものなのかも知れませんが、一方では、ルーティーンになっている内容そのものを見直してみることも必要に感じます。

 子どもたちは、可能性をたくさん秘めています。その子どもたちに関わる我々大人こそ、従来の枠にとらわれない発想を持つことが大切に思っています。

 これから夏季休業を迎えるにあたり、ご家庭で過ごす時間が増えます。

 皆様におかれましても、バリュエーション豊かな生活を送りつつ充実した日々となることを祈念しています。

 

その⑬

 外出時の必携品

 

 

 

 お子さんの年齢や興味・関心により様々かと思いますが、外出時に何を持って行くか、楽しくも悩ましくもある内容かと思います。

 私はと言うと、今は成人の息子が幼稚園~小学校低学年だった頃、週末になると、電車に乗っては各所に出掛けたものでした。

 イベント会場や賑わいのあるスポットに行くというよりは、自然が多い場所に行く方が多かったですので、自ずと持ち物もその場に準じた内容となります。

 かさばるのは嫌だし、それ相応に楽しめるものにもしたいし、で、結果的に行き着いていたのが、100円ショップで売っているような柔らかい小さ目のボールでした。

 これならば、荷物にはなりませんし、仮に準備を忘れてしまっても現地に100円ショップがあればすぐに購入できますので、自ずと必携するようになっていました。

 少しの場があれば、そこですぐにキャッチボールが始まります。息子の成長に伴い、キャッチボールの距離は延び、ボールの速さも増していきますので、うれしさを感じるひとときでもありました。

 そして、このボールはその軽さゆえに、結構変化球を投げやすく(!)私はここぞとばかり父の威厳を保とうと、インチキな変化球を数々投げては微妙に肘を痛めるのでした。

 この経験があったからなのか、(と信じたい・・・)息子は小学生の時に少年野球を行い、今でも連日テレビを見ながらごひいきの球団に対して一喜一憂しています。

 只、これが正解だったとは思えず、他にもっと良い方法があったかも知れないという思いは残っています。

 結局のところ、何を選ぶのかについての正解はなく、お子さんのことを思いながら試行錯誤していく他はないように思います。

 子育ては喜びだけではなく悩みを伴い、行きつ戻りつの連続ですが、(少なくとも私はそうです)お子さんのことを思い行動することそのものが何よりも尊いのではないかと思っています。

 

その⑫

 これは、ひょっとして?

 

 

 先日、とある地方の体育館へ行く用事があったため、風光明媚な駅に降り立ちました。

 駅から目的地までの交通手段が限られていたこともあり、歩いて向かうことにしました。

 時間的見通しとしては、30分程度といったところです。ちょうど良い運動ができると思いつつ、現地にある掲示板の地図でルートを確かめます。

(スマホの地図を使うこともありますが、どうも土地勘的なものが鈍ってしまうような気がしてしまい、極力現地の地図と野生的勘?を使うにするようにしている私です・・・)

 何だか歩きやすそうな道があったため、そこを歩いてみることにしました。

 舗装されている一本道でありながら、車は通行禁止とされているため、安心して歩くことができます。

 一見、サイクリングロードのようにも思えるのですが、ちょっと違う感じもします。

 そうこうするうちに、その道の傍らに遮断機(踏切)があるのを見つけました。

 これは、ひょっとして・・・。

 と思っていたところ、ちょうど案内図がありました。

 それを読むと、やはり!でした。

 元々石炭を運ぶための線路があり、廃線になったことに伴ってそこを遊歩道的に整備した道だったのです。

 遮断機はその後も数カ所あり、また、所々には取り外せなかった線路(?)状のレールが埋め込まれてあるのも発見しました。

 時代の流れなのでしょう、廃線が増えている現状を改めて感じた時でもありました。

 一方、二度と戻せないのかな、と思うと何だか寂しい気持ちにもさせられました。

 人口減、産業の変化、コスト面等々、様々な内容が絡むだけに、単に存続を望むだけでも無責任に感じます。

 なかなか難しい問題であることを感じながら歩いていると、道の両脇に、恐らくは地元の方々によって育てられた花壇が随所にあるのを見つけました。

 私以上に地元の方々は相当に複雑な思いであったことでしょう。

 しかしながら、そのような中でもきれいな花でこの道を彩る人の優しさなる部分を感じることができ、何だか救われたような思いになったひとときでした。

 

その⑪

 音楽コンプレックス(その⑤)

 

(前回の続き)

 今年度は、本園の開園70周年の節目の年となります。

 今回、各種の取組を行なうにあたり、大きなコンセプトをもって行なうことといたしました。

 そのコンセプトが、「音楽」です。

 理由としては、子どもたちに豊かな経験ができること、そして、子どもも大人も、年齢や立場等の枠を超えて一緒に楽しめる共通のツールであるからです。

 私にとっては、よりによって(!)の展開でしかないのですが、これも何かの因果なのでしょう。

 私のことはさておき、何よりも子どもたちにとって実りある内容となるよう、進めていきたいと考えています。 

 そして、思うところもあり・・・ 

 本来、「音楽」は、読んで字の如くで、音を楽しむものでなければならないと思っています。

 一方で、現実面はと言うと、世知辛い次代背景もあるからなのでしょうか、早々に成果を求めるきらいがあり、出来映え優先・能力至上主義的なものを感じることがあります。

 音そのものを心から楽しむ経験、自分なりの楽しみ方で歌ったり演奏したりすることを十分に楽しむ経験がもっとできて良いのではと思います。

 音楽に限らずの話にもなりますが、「評価」が第一にあることで、結果的に子どもを追い詰めてしまうことにもなりかねません。

 この風潮がエスカレートすると、私のような音楽コンプレックスを更に生んでしまうことにもなります。

 今、運動でも生涯に渡って楽しめるようにすることが大切と言われており、各種の取組がなされている中、音楽は運動以上に長期間楽しめる良さがありますので、その良さを生かした取組を行い、音に親しむことの楽しさを幼児期にしっかりと味わってほしいと強く願っています。

 今回の周年記念式典において、そこに集った大人や子どもたちが皆で取り組める演奏会を企画したのも、音楽本来の楽しさや醍醐味を味わえるようにしていきたいという思いからです。

 内容・構成はまだまだこれからですが、音楽という共通ツールの下、多くの方々の思いが集まって、人と人とが笑顔でつながるような内容にしていきたいと思います。

 保護者の皆様におかれましては、出来映え等は一切気にする必要はありませんので、(何しろ、私自身がこのような有様ですから…)自分が心から楽しめるスタンスで、自分なりの方法でご参加いただければ幸いです。

(そして、あわよくば、今年度の取組を通して私のコンプレックスが少しでも和らげば、と密かに願う今日この頃です)

 

その⑩

 音楽コンプレックス(その④

 

 

 

 (前回の続き)

 そして、学級担任となった私は、子どもたちの前でピアノを弾くこととなりました。

 当然のことながら、ただ弾ければ良いのではなく、子どもたちの動きを見ながら、且つテンポ等を合わせながら弾くことが求められます。

 学級担任になった以上、何としてでも弾かなくてはなりません。

 そこで、私が編み出した方法は、名付けて「形状記憶法」。

 内容としては、至ってシンプルです。

 反復練習をして指にその曲を覚えさせ、いかなる状況下においても間違えることがないようにするという、楽譜が読めない私だからこその方法でした。

 根底には、私の中に、ひたすら筋トレを行って体に覚え込ませるという、運動部独特の考え方があったのかも知れません。

 ヒンズースクワットをするかのように、ピアノの反復練習です。

 何よりも、子どもたちの前でピアノが止まってしまうことだけは避けたかったので、目を閉じて練習したり、暗闇の中で練習したり他の音楽をかけながら練習したり、と、様々なシチュエーションを設けつつ「形状記憶ができる指作り」に徹するようにしました。

(傍から見ると、相当に滑稽な姿だったと思います・・・)

 子どもたちの前でピアノを弾くのは、緊張を要するはずなのですが、不思議なことに、あまりにもゆとりがなさすぎたため、緊張という選択肢すらありませんでした。

 私の姿は、時に誤解を生むこともあり、とある参観日の降園時、保護者の方から「先生は楽譜を見ないのにピアノが弾けて、すごいですね!(笑)」とお褒めのお言葉を頂戴したことがあったのですが、とんでもない話で、楽譜があると間違えの元になるので、置くことすらできなかったというのが真相です。

 この形状記憶法は、弱点もあり、スタート時点での指を置く位置を間違えてしまったら最後、形状記憶のまま指が動いてしまいますので、とんでもない曲になってしまうのでした。

 また、私の指のメモリ不足により、複数の曲を覚え込ませるには自ずと限界もありました。

 そして、最大の弱点はというと、この方法のために莫大な時間を要してしまうことでした。

 幼稚園は勿論のこと、家庭でも夜間や土日は相当の時間をピアノに費やすこととなりました。

 悲しいことに、その所要時間は一向に改善される見込みはなく、ピアノを弾く度に子どもたちに対して申し訳ない気持ちになること続きでした。そして、結果的に私の学級担任としての寿命を縮めてしまう一因にもなったのでした・・・。(涙)

 

その⑨

 音楽コンプレックス(その③)

 

 

 (前回の続き)

 大学は小学校の先生になるつもりで入学しましたが、運命の悪戯が生じて、(このあたりも経緯も相当にあるのですが、省略します)幼稚園の先生になることを目指しました。

 ところが、ご想像の通り、幼稚園の採用試験を受けるにはピアノ等の音楽の能力が小学校の採用試験以上に求められます。

 私の能力では、この時点で「THE・END」なのですが、幼稚園の先生になりたいという思いが勝り、茨の道を歩むことにしました。

 とは言え、学校のピアノ実技の授業は既に終わっていましたので自分でどうにかするしかありません。

 そこで、所謂一般の音楽教室に通ってピアノのレッスンを受けることにしました。

 学生時代は親元を離れて一人暮らしをしていましたので、金銭的ゆとりはなく、結構な額の月謝を払うのは非常に苦しいものがありましたが、背に腹は代えられません。

 大学のピアノ練習室で練習をしては、週一回のレッスンに通うという生活が始まりました。

 大学では運動部に属していましたので、決まって服装はジャージです。およそピアノ教室にはふさわしくない服装で出入りしつつ、申し込み時にお願いをした「やさしい先生」に、懇切丁寧な指導をいただきました。

 実はそれでも能力が向上しないことは、自分が一番よく分かっていましたが、少しでもどうにかしたいという気持ちだけでした。

 実技の他に、音楽関係の筆記に関わる対策も立てなければなりませんでしたが、楽譜が読めない私はと言うと、数学の方程式を解くかのような私にしか分からない法則を編み出し、何とか対応できるようにしていきました。

 そして、採用試験です。

 私は、東京都を含めて二つの自治体の試験を受けましたが、共に音楽に関わる内容がしっかりと盛り込まれていました。

「初見(初めて目にする楽譜)でピアノを弾く」

「持ち込みの曲で弾き歌いをする」

「歌詞に合わせて歌いながら表現をする」

といった内容でした。

  初見など、楽譜が分からない私にできるはずがありません。

  首を傾げながらピアノを触っているうちに、終了時間です。

  それでも、あいさつくらいは誰にも負けないようにしなければと思い、「ありがとうございました!」と大声で一礼しました。

 弾き歌いは、ピアノよりも大きな声を出してカバーするようにし歌って表現する内容は、ここぞとばかり大胆に演じました。

 結果は、なぜか、合格。

 他の受験者に比べて、能力的に劣っているのは明らかでしたのできっと何かの手違いがあったからだと今でも思っています。

 その一方で、私の代わりに涙を飲むことになった受験者の分も頑張らなければ、という思いや、これから出会うであろう子どもたちに対して、できないこと尽くしの人間だからこそできることがあると試されているような思いにもなり、結果的にピアノ教室には大学を卒業するまで通い続けました。

 これで少しでも上達していれば、美しい話だったのですが、そうはいかず、焼け石に水、のれんに腕押し、私にピアノでした。

 それでも毎回毎回丁寧に関わってくださったピアノの先生には、感謝の思いでいっぱいです。

 さて、当然のことながら、採用試験に合格することがゴールではなく、現場に出てからがスタートです。

 頭では分かっていましたが、それを痛感することが次々と訪れることになりました。              (次回に続く)

 

その⑧

 音楽コンプレックス(その②)

 

 

 

(前回の続き)

 小学校時代にセンスのなさを認識できた私は、今後音楽とは無縁の生活になることを確信し、中学校・高校と、音楽は授業をこなすだけで過ごしました。

 ところが、(そこも相当の経緯があったのですが割愛します)大学に入り、音楽と向き合わなければならなくなったのです。

 事もあろうに授業の必須科目で「ピアノ」があり、実技によって単位を出されるという、私にとっては致命的な内容でした。

 忘れもしない、授業の初日。

 予め自分の弾きたい曲を決めておき、授業の場で一人ずつ順番に弾く(発表)という時間でした。

 経験の有無やセンスが出る時間です。

 教員養成課程ということもあり、ピアノ経験者が多く、ピアノを弾く度に大きな拍手と感嘆の声が挙がります。

 何とも清く美しい時間でした。

 そして、いよいよ、私の順番です。

 私は、右手人差し指一本で「きらきらぼし」を弾いたのでした。

 それも、どうにかこうにか、やっとこさです。

 まさしく小学校一年生にタイムスリップしたかのような姿。

 それまでのムードは一転、「マジで、ヤバいわ・・・」の空気に。

 声を押し殺し、涙を出しながら笑う友達が続出です。

 そして、大学の先生は、非常にいたたまれないといった表情で、

 「キ、君・・・、も、もういいよ・・・」と私を傷つけないよう、最大限の配慮を込めて仰いました。

 大学に入って初めてピアノに触れたというレベルの私ですので、無理もない、というところですが、現実は甘くありません。

 その授業は、「バイエル」を終えることが、単位取得のための最低ラインとされていたからです。

 ピアノ経験者ならば既にクリアできているレベルかも知れませんが、私からすると、初めてバットを握った人間にホームランを打つようにと言われているような理不尽極まりない内容です。

 そして更に難題がやってきます。抑も「バイエル」は歌とは違いこれまでに聞いたことがないメロディーです。

 そのため、楽譜が読めない私は、何をどうすれば良いのか途方に暮れるばかりといった有様でした。

 楽譜のオタマジャクシに合わせて、恐らくここであろうピアノの鍵盤箇所に指を置く、という調子です。

 友達にも、随分とお世話になりました。

 大学のピアノ練習室に随分とこもって格闘していましたが、自分の実力は自分が一番よく分かるものです。

 「バイエルなんて、絶対に終わるはずがない!」

 との結論に至りました。

 そこで、私は一計を案じます。

 バイエルの楽譜は各自が購入する形となっていたのですが、その裏をかく形で、バイエルが全て載っていない概要版的な楽譜を購入し、どうにかそれで切り抜けようという姑息な作戦を考えました。

 勿論、先生もそこは見抜かれていたはずですが、温かなまなざしでその楽譜を使うことを認めてくださいました。

 少しでも上手になりたい、先生の喜ぶ顔も見たい、と思いながら取り組みましたが、残念なことに上手になる兆しは一向に見られず実際には先生に頼み込み、単位を「お情け」で出していただいた、という何とも情けない形でした。

とは言え、単位もどうにか得ることができ、これで音楽との縁も切れたと思いきや、真に大変なことが訪れました。(次回へ続く)

 

その⑦

  音楽コンプレックス(その①)

 

 

 

 コンプレックスだらけの私(↘)ですが、その中の一つとして、「音楽コンプレックス」があります。

 躓いたのは、小学校1年生の時でした。

 音楽の授業で音楽室に行き、個別の机に着席しました。

 その机は、鍵盤がプリントされており、音は出ないまでもピアノを弾くかの如くな経験ができるように設えられてありました。

「おおっ!」と暢気に思いながらその鍵盤を眺めているうちに、先生の説明が始まり、そのままついて行けなくなったのです。

 その時に分からないことを聞けば、遅れを取り戻すことができたはずだったのですが、案の定、そのままにしていたため、どんどん友達との差は広がるばかりでした。

 そのような私に、更に追い打ちをかけるような出来事が・・・。

 高学年を迎える頃、希望者を募る形で新たに「金管バンド」なる部を設けることが決まりました。

 その前振り的要素もあったと思うのですが、音楽の授業で全員がマウスピースを吹くというコンテスト的なことを行ないました。

 そこで、先生がその子のセンスを見ていきます。

 すぐにコツを掴む子もいれば、そうでない子も出るわけで、私はというと顔を真っ赤にして必死に頬を膨らませているだけでした。

 勿論、私が先生から声を掛けられることはなく、

 「やっぱり自分は音楽的センスがない・・・」と、次々とコツを掴む友達を目にしながら、劣等感を募らせたのでした。

 一時、金管バンドは学校でブームのようにもなり、活躍する友達も次々と出て、華やかな部になっていたことを覚えています。

 私は、益々音楽から逃げ、運動の方へと軸足を置くようになっていき、コンプレックスは高まる一方でした。

 だからなのかどうなのかは分かりませんが、私は未だに何かの歌を「ド・レ・ミ」で変換することができません・・・。

 よって、楽譜も読めません・・・。(涙)

 そのため、曲を弾くときは「ド」を基準にして指を置き、楽譜のオタマジャクシを見ながらパソコンのキーボードを叩くかのように合わせていく、というセオリー度外視の方法をとっていました。

 ひょっとしたら、小学校1年生の時に先生に聞いていれば少しは違ったのかも、と今更ながらに思うことがあります。

(それでも多分駄目だっただろうという確信をもちつつ・・・)

*お恥ずかしいことに、音楽コンプレックスの内容は、この他にも多々ありますので、次回以降も記していきたいと思います。

 

その⑥

  九死に一生!?

 

 今年二十歳を迎える息子は、小さい頃から今に至るまで、鉄道が大好きです。

 私が休みの時は、決まって二人で何かしらの電車に乗って過ごすことが慣わしになっていました。

 さて、息子が幼稚園児だった頃、その時は「都電荒川線」に乗りたいという話になりました。

 随分と乗った後に終点の「早稲田」で下車し、しばし周辺を散歩していたところ、とあることが私の身に起こったのです。

 それは、単なる生理現象なのですが、大きな方の「お通じ警報」が発令されたのです・・・。

 ちょうど飲み物を買いたいタイミングでもあったため、買い物を兼ねてコンビニのトイレを借りることとしました。

 大きくきれいなトイレに二人で入ります。

 まずは息子が用を足しました。そして次に満を持して私が・・・と、ここまでは良かったのですが、大変なことに気がついたのです。

 それは・・・

 「か、紙が、ない・・・!」

 二人でストックがないか探したののですが、見当たりません。

 もう、これは八方塞がり状態です。

 私はご想像の通りの体勢ですし、息子は、引っ込み思案で人前で話をするのは苦手としていましたので、私は最初に紙の有無を確認しておかなかった自分を恥じるとともに、途方に暮れながらどこかで替えのパンツを購入することばかりを考えていました。

 すると、次に何とも驚くことが起きたのです。

 息子が、これまでには見せたことのない、凛とした表情に変わり、「パパ、待っていて!」と力強く声を掛けてくれたと思いきや、すぐさまトイレを出て恐らくはレジに行き、店員さんに「すみません!トイレットペーパーがなくなったので、いただけますか?」と実にしっかりはっきりとした口調でお願いをしていたのです。

 そして、数十秒後、「もらってきたよ!」とトイレットペーパーを手にトイレに戻ってきてくれたのでした。

 私は、息子のおかげで九死に一生を得たのでした。

 と同時に、およそ想像もしていなかった息子の姿に非常に驚かされました。

 仕事柄、気が弱く、消極的な我が子に困っているというご相談を受けることがあります。

 もちろん、人それぞれの歩みがあるのですが、この例のように何かのシチュエーションが思わぬ姿を引き出してくれることもありますし、実は消極的に見えるのは外側から映る姿であるだけで、案外本人はその間、周囲の状況をしっかりと見ているだけ、ということもあり得ます。

 特に親としては、子どもの足りないと思う点は気になるものですので、何とかしたいという思いに駆られがちですが、無理やり矯正しようとする時は大抵うまくいかないものです。

 誰しも得意不得意はあるもの、自分自身もそうだしなぁ、と大らかに構えながらその子の個性に向き合うことが近道につながるように感じています。

 

その⑤

 ちょっとだけモヤっているもの

 

 

 

 大変うれしくありがたいことに、世の中では多くのボランティア活動が行われています。

 災害地支援や各種社会貢献活動など、範囲は多岐に渡ります。

 一般的に、「自発的な意志に基づき、他人や社会に貢献する行為」と定義されているようですが、範囲が広いだけに、何をもってどこまで、といったあたりが難しい側面もあるようです。

 さて、このボランティアについてですが、私の中でちょっとだけモヤっている部分があるのです。

 近年特にですが、進学や就職に関わる内申者や面接書的な内容に関して、ボランティアに関わる経験の有無が問われるようになってきました。

 どの程度の幅のある経験をしてきたか、というあたりを考慮するための大切な要素の一つとしては理解しつつも、その一方で合格や採用をされたい側からすると加点要素になる訳で、そうなりますと人によっては計算が働き、傾向と対策としてボランティアを行う姿も出てきます。

 そのため、本来は見返り的なものを求めない、というボランティアの姿から離れるかのように、目的が「誰かのため人のため」から「自分の合格のためにだけ」とどこか心を伴わない形へと変容していってしまうのでは、という思いに駆られることがあります。

 そのあたり、あくまでも人の心や主体性に関わる部分であるだけに、バランスをどのような案配で保つのか、というあたりが難しいところなのでしょうが、ボランティアといった言葉で括る内容の前段として、抑のちょっとした心を伴う助け合いの輪が広がっていけば、と思うところです。

 その心の素地ができている人は、どのような環境においても活躍でき、評価されていくはずです。

 

その④

 耐性を養うには

 

 「我慢強い子に育ってほしい」 

 これは、お子さんに対しての、親の願いの大きな内容の一つかも知れません。

 すぐに諦めてしまう、我が儘ばかり言う、癇癪を起こす、泣いて主張ばかりする等々、生活の中で何とかならないものか、と感じることもあるように思います。

 ここ最近「レジリエンス」(困難をしなやかに乗り越えて回復する力)なる言葉も聞かれるようになり、今後ますます求められるような気もするところです。

 それでは、今の子どもが全般に渡って耐性が低いかと問われればそこは、致し方ないところがあるかと思います。

 加速度的に便利な世の中になり、我慢する機会や苦労をする経験そのものが少なくなっているため、子どもからすると、この状況の中でどうやって親が望む姿になれば良いのか、と逆に問いたくなる部分があるように感じています。

 実は子どもに限らず、大人も同様の状況である訳ですので、すぐにキレる大人や自己中心的な大人が増えていると言われているその遠因になっているのかも知れませんね。

 さて、それではどのようにして子どもに耐性を身につけさせたら良いのか、というところになりますが、スパルタな事を行い、根性一辺倒な関わりが良いかと言われれば、首を傾げざるを得ません。

 ただ、上手に「ままならないもの」に出会い対峙する経験は大切だと思います。

 そこで、有効かも知れないと思うのが、「自然との関わり」です。

 自然は、人間の予想に反する姿をたくさん見せてくれます。そのため、人間が自ずと自然に合わせる状況が生まれます。

 一番分かりやすい例が「天気」です。

 いくら外に出掛けたくても雨が降っていれば我慢する他はなく、逆に我慢のその後に快晴であれば、喜びもひとしおです。

 他にも、その瞬間にしか咲かないきれいな花との出会い、苦労に苦労を重ねて捕まえた生き物を慈しむこと、家庭で飼育してみようとして試行錯誤してみたところ、うまくいかなかった経験などなど自ずと自分が主体的に動きながらも、相手に合わせてしなやかに動くことが求められます。

 また、自然の中にいるだけで、ヒーリング効果なるものもある訳ですので、理屈では分からない心穏やかになるような経験もできることでしょう。

 このように、「自然」は、子どもにとっても大人にとっても最良の教科書でもあるように思います。

 このようにしたり顔で記しつつも、人間ができていない私自身は雨天等で子どもたちの行事を延期とする判断の度に、深~いため息をついているところです。

 そして、「自分の行いが悪いからではないか」などと根拠に欠ける思いにもなってしまうのですが、古より「お天道様が見ている」といったある種の畏れを抱き、我が身を律することにつながる経験ができていたのも、自然からの恩恵の一つなのかも知れませんね。

 

その③

 足下で輝く星

 

 人間が毎日使う場所は、仕方のないことでもありますが、最初は新鮮でも時間の経過とともに良くも悪くも当たり前の場所となってしまう傾向があります。

 その一つなのかも知れないと思いつつ、一点ご紹介します。

 本園靴箱スペースの床材についてです。

 柔らかなベージュ色の長尺シートで施工されてありますが、実はこの素材になる前は、重厚感のある昔ながらのタイル敷きでした。

 タイル素材は、格調高いムードを醸し出す良さがあるのですが、その一方で、非常に硬い素材であり、雨など水が乗った途端に滑りやすくなってしまう、というデメリット面もあります。

 幼稚園は、保育室のみならず園内の様々な場所を活動のスペースとするため、より安全で使い勝手の良いものにしていく必要があります。

 現在の仕様となったその背景には、最良の素材を吟味して選定に至った関係の方々のあたたかな思いが感じられるのでした。

 実は、現在のこの素材は、かの有名な施設である「◯◯◯◯◯◯ミュージアム」に使用されている床材と同じなのだそうです。

 よく見てみると、◯や△、□などの形でアクセントのある凹凸を用いた滑り止め加工がなされています。また、シート自体の厚みも現存するシートの中で最高レベルなのだそうです。

 なぜ私がこのことを知っていたかというと、前任園で改修工事があり、その際に設計会社さんと「安全で最良の素材を!」、と探しに探してたどり着いたものと全く同じだったからです。

 本園と前任園とでは設計会社さんはもちろんのこと、携わった方々は全く違いますが、結果的に同じ素材であったことは驚きでもあり、とてもうれしく感じています。

 そして、おまけの内容になりますが、凹凸模様をよく見てみると隠れキャラクターのように稀に☆模様が紛れています。

 おそらくは、メーカーさんの遊び心なのではないか、と拝察しているところですが、このような心配りもうれしいものですね。

 お時間のある時にでも、お子さんと一緒に足下できれいに輝く ☆(ラッキースター)を探してみていただければ幸いです。

 

その②

 親しきSNSにも礼儀あり

 

 

 

 このところ、時が経つのが早くなったように感じることが増えてきました。

 それは、私が年をとったから、ということは理解しつつ、それにしても…と感じるのは、恐らくは、日々膨大な情報量が迅速に行き来する世の中になったからなのかも知れません。

 そのような時代に取り残されないようにするために、トレンドについていかなければ、と一人背伸びをする日々です。

(ふくらはぎをピクピクさせながら…)

 スマホ一つ取り上げても、もはや小型パソコン以上の状態です。

 娘や息子、また、先生たちから多くの話を聞きながら、なるほどなるほどと、勉強の日々です。

 今やスマホがなくなったら最後、途方に暮れるような生活様式になっているのが現実です。

 肌身離さずに扱うスマホ。だからこそ気をつけなければと感じるのは、人とやりとりをする際の感覚についてです。

 年度初めというタイミングも相まって、ラインやメール、各種の書き込みなど、SNSを扱う機会も多いかと思います。

 そのような際、案外出やすいのが、「情」です。

 良い方面の情ならば良いのですが、悪い方面での情も出やすくなります。

 そこに相手が直接いない分、良くも悪くも本音((さが))が出やすくなります。

 自分の心にブレーキをかけにくい状態が生まれやすくなること、また、端的な文章が中心になることから、誤解も生まれやすくなってしまいます。

 心ない書き込みが相手を深く傷つける内容については、各種報道等の通りですし、親しい相手とのやりとりでも、ちょっとしたことでボタンの掛け違いに発展してしまうこともよくあります。

 だからこそ、自分の思いを表現するその前に、「相手」に思いを馳せることを大切にしたいものです。

 内容云々についてはもちろんのこと、例えばラインを送る際の時間帯は適切なのかなど、「自分は良くても、相手にとってはたまったものではない」ことについても、発信の数と同じだけ考えることが求められているように感じます。

 言葉のボールは投げっ放しで良いものではなく、あくまでも相手と心地よいキャッチボールをするためにあるものだと思います。

 「親しき仲にも礼儀あり」という内容に加えて、「近しきSNSにも礼儀あり」を意識しなければならないと感じます。

 私自身は、本音の部分で「それにしても、全く面倒な世の中になったなぁ…」と思いつつ、「ダメダメ、今の世の中に順応しなければ…」と自問自答しながら背伸びする日々です。

 

その①

 「記念の時」

 

 

 

 待ちに待った一学期が始まりました。

 子どもたちも先生たちも、気持ちを新たにしてのスタートです。

 進級や入園は、幼稚園としては毎年の取組内容になるのですが、その年毎に子どもたちは違う訳ですので、とても新鮮で自分の心が洗われるような気持ちにさせられます。

 年長さんは、待ちに待った最高学年。前年度の年長さんから引き継いだ当番活動や年少さんへのお手伝いに意欲的に取り組みつつも自分たちの学年だけの生活を展開させているところです。 

 年中さんは、ワクワクドキドキの二階での生活。これまでは年少組だっただけに、急に背伸びをしたかのような感がしました。

 そして、年少さんは初めての集団生活です。

 年長さんの実に温かいフォローもあり、私が心配になるくらいの楽しくスムーズなスタートを切っています。

 保護者の皆様からしても、一喜一憂の日々かと思いますが、このようにお子さんと一緒になって感じたり考えたりする行為そのものが非常に尊いと改めて感じます。

 私にも既に成人した娘と息子がいますが、二人が幼稚園にいた頃の記憶は今でも鮮明に残っています。

 今になって思うに、それは、きっと大人の手を要する年齢であるがために、ともに試行錯誤(もがき苦しみ?)しながら歩んできたからこそ、だったのかも知れません。

 子どもは成長するにつれ、大人の手をどんどん離れていきます。

 今は年齢的に何かと大変なことだらけかとは思いますが、手をかけ心をかけていくことが一番できる時期とも言えます。

 今、お子さんは新生活をスタートし、目には見えにくい実に様々な思いを抱いています。お子さんからの話をたくさん聞いて、想像を巡らせて、且つ教職員とも多くの情報共有をしながら今の記念の時をお子さんと一緒に味わっていただければうれしく思います。

 

ごあいさつ

 

 

 今年は桜の花が咲いた中での始業式・入園式となりました。

 お子様のご進級・ご入園、誠におめでとうございます。

 子どもたちと一緒に、楽しく充実した幼稚園生活を作っていけるよう、尽力いたします。

 さて、昨年度からの引き続きとなりますが、日頃皆様となかなか個別にお話することが叶わないこと等を鑑みて、心に浮かんだ事柄を諸々とりとめもなく書き綴る形で、コラムをお送りいたします。

 このことをきっかけに皆様と直接お話をすることができたり、日々子育てで大変な部分での力が少しでも抜けたりすることにつながればうれしく思います。

 週一回のペースでお届けする予定でいますので、隙間時間にでもご覧いただければ幸いに存じます。

 どうぞよろしくお願いいたします。