1937年(昭和12年)10月  京橋区立宇佐美健康学園として開園
  学園は臨海学舎(海に近く、学校と同じように教室がいくつもある建物)と林間学舎(山に近く、寮生活のための建物)とから成り立っていました。
子どもたちは林間学舎(現在の学園の位置)からかばんを背負って臨海学舎(現在の臨海テニス跡地)に通学していました。
当時の在園生の思い出を聞くと、学校の帰り道に天神様のわきの坂道を道くさしながら通ったということです。林間学舎(寮)は松・竹・梅・桜の4つに分かれていました。かわら屋根の平屋造りで、部屋には畳が敷いてありました。寝るときは一組の布団に二人で寝たそうです。体育館がなかったので、雨の日は狭い部屋の中で遊びました。
当時の学園は、学期毎に入園してくるやり方でした。この間、戦時中の疎開は別として、このやり方は昭和32年まで続きました。開園当初は網代までしか鉄道が通っていませんでした。そのため宇佐美に来るのに、網代駅から大きな荷物を背負って網代峠を越えなければなかったそうです。鉄道は、翌年ようやく伊東まで開通しました。
1944年(昭和19年)3月  第1学期より都の疎開事業の先駆けとして、第一次京橋区国民学校児童集団疎開に切替。160名の学童を収容(ただし、名称は京橋区健康学園のまま)
1944年(昭和19年)8月   第2学期より第二次学童集団疎開。東京都京橋区国民学校宇佐美疎開学園に名称変更。臨海部に301名、林間部に150名、計451名を収容(昭和19年9月25日現在)
1945年(昭和20年)6月   埼玉県へ再疎開、一時休園
  戦争が激しくなり、宇佐美も危険になったので、子どもたちは埼玉県にある京橋区の各学校の疎開学寮に再疎開したため、学園はしばらく休園することになりました。
1946年(昭和21年)11月 再び開園
  戦争の後、食料をはじめ、いろいろな物が不足していたので生活していくのが大変でした。自分たちでサツマイモやカボチャを植えて食糧不足を補いました。
1947年(昭和22年)8月 東京都中央区立宇佐美健康学園と改称
  東京の特別区が35区制から23区制になったので、学園の名称が京橋区から中央区に変わりました。新しくできた中央区は、旧日本橋区と旧京橋区との合併によってできたものです。

  臨海学舎での授業風景

    園当初の林間学舎(山の寮)
1951年(昭和26年)4月 東京都中央区立宇佐美学園と改称
1953年(昭和28年)   学園歌制定
  当時東華小学校にいらした大村禎二先生が作詞を、斎藤仁先生が曲を作ってくださいました。
1957年(昭和32年)10月 開園20周年記念式典挙行

1958年(昭和33年)9月

台風22号(狩野川台風)により建造物被災流失。10月12日東京都中央区立臨海学園に移転
   強い風、豪雨で、洞の入川の水かさが増え、崖が崩れました。山から流れ落ちてくる土砂、岩石に押しつぶされ、林間学舎はこわれ、流されてしまいました。命からがら避難したそうです。
台風の被害で林間学舎は全く使えなくなったので、臨海学舎で生活することになりました。
1959年(昭和34年)2月 隣接地3.549.223㎡を新規買収し敷地拡張(全体で10.558.83㎡となる)
1960年(昭和35年)6月   新寮舎完成。同9月新校舎、同10月体育館完成
   学校の校舎と寮の建物とが同じ敷地内(林間学舎の位置)にできました。体育館もあるすばらしいものです。
寮舎は、松・竹・梅・桜の4寮に分かれていて、部屋は、広間(プレイルーム)と寝室が別になり、二段ベットが置かれました。 校庭にはスタンドがあり、運動会の応援席になったり、養護・訓練に使われたりしました。入園の仕方は、1年単位となり(昭和33年以降)、100名以上の在籍を数える年度が何年もありました。
1960年(昭和35年)12月 宇佐美学園再建竣工、落成式挙行

      運動会

      寮舎風景
1967年(昭和42年)10月 学園専用道路(308㎡)完成・同12月普通教室(3教室)増築
1968年(昭和43年)3月 開園30周年記念式典挙行
1968年(昭和43年)4月 園田成孝園長着任
1970年(昭和45年)12月 新寮母室完成(保健室、寮母室、職員浴場、作業員宿舎)
1971年(昭和46年)4月 伊藤吉郎園長着任
1971年(昭和46年)8月 橋梁完成。同12月教員公舎完成
1972年(昭和47年)2月 中央区研究奨励校、東京都公立養護学園研究協力校として研究成果を公開。主題「心身ともに健康な生活を進めるため」
1972年(昭和47年)3月 伊東市水道施設完成
1972年(昭和47年)9月 理科室、厨房改修、洗濯室の新設完成
1973年(昭和48年)10月 園章、学園旗を制定
  城東小学校の土井豊先生のデザインによるものです。「みんなで協力しよう、チャレンジシップをもってがんばろう」という願いを表現しています。園章ができたので学園旗ができました。
1974年(昭和49年)4月 三井俊郎園長着任
1977年(昭和52年)10月 開園40周年記念式典挙行。区立小学校に宇佐美の木(みかん)二株贈呈。開園記念時計台を児童が作成、PTAが時計を取り付け
  運動場のがけの上に時計台を作りました。作業の時は、子どもたちも手伝いました。校庭のスタンドの壁に、子どもたちと先生が絵を描きました。
1978年(昭和53年)11月 東京都病弱虚弱教育研究協議会協力校として研究成果を公開。主題「都市児童の人間性向上をめざして」
1980年(昭和55年)4月 古川清行園長着任
1981年(昭和56年)8月 寮舎・保母室新築完成。同9月10日落成式挙行
  台風による被害後建てられた建物も、20年経つと、あちこちにいたみが目立つようになったので改築し、現在の寮舎が完成しました。

     食事風景

       授業風景

  寮舎・保母室新築完成
1985年(昭和60年)8月 校舎・体育館・食堂・厨房・浴室棟改築完成。同9月9日落成式挙行
  学園の姿は新しくなりました。新しい建物は鉄筋コンクリート造り。しかし室内は木造建築の感じで、あたたかみのあるものです。
1986年(昭和61年)3月 運動場・プール等外構工事完成
1986年(昭和61年)4月 富山俊男園長着任
1987年(昭和62年)5月 寮南隣接地を教材園として活用
1987年(昭和62年)10月 開園50周年記念式典挙行
1988年(昭和63年)4月 香川昭男園長着任

校舎改築完成

50周年記念式典
1989年(平成元年)7月 伊豆半島東方沖群発地震及び海底噴火のため早期帰京
1991年(平成3年)3月 新職員宿舎完成
1991年(平成3年)4月 飯田邦男園長着任
1991年(平成3年)4月 東京都病弱虚弱教育研究協議会湘南地区研修会を本園にて開催
1991年(平成3年)8月 校庭改修。校庭北側隣接地に教材園を新設
1993年(平成5年)4月 林智恵子園長着任
1993年(平成5年)6月 伊豆半島東方沖群発地震のため一時帰京
1995年(平成7年)10月 伊豆半島東方沖群発地震のため一時帰京
1996年(平成8年)4月 伊藤俊彦園長着任
1996年(平成8年)4月 東京都病弱虚弱教育研究協議会湘南地区研修会を本園にて開催
1997年(平成9年)3月 伊豆半島東方沖群発地震のため卒園式を城東小学校にて行う
1997年(平成9年)10月 開園60周年記念式典挙行
1998年(平成10年)9月 学園崖側フェンス工事完成
1999年(平成11年)3月 日本漢字能力検定協会より、漢字検定試験「優秀団体賞」を受賞
1999年(平成11年)4月 清水健園長着任
2001年(平成13年)4月 新井ひろみ園長着任
2001年(平成13年)5月 東京都病弱虚弱教育研究協議会湘南地区研修会を本園にて開催
2001年(平成13年)7月 寮南側門扉改修工事完成

プール遊び

    60周年記念大運動会
2003年(平成15年)2月 開園65周年記念行事(コンサート・シンポジウム)を開催。65周年記念PTA会報紙発行
2004年(平成16年)3月 プール床面・壁面塗装工事完了
2004年(平成16年)8月 東京都病弱虚弱教育研究協議会湘南地区研修会が本園にて開催
2005年(平成17年)4月 千葉家門園長着任
2006年(平成18年)5月 みかん栽培学習開始(森順みかん農園に於いて)
2008年(平成20年)2月 開園70周年記念式典挙行。うさみ桜植樹
2008年(平成20年)4月 小島敏光園長着任

みかん栽培学習
(ウサみかんタイム)

70周年記念式典

   70周年記念式典
   (アトラクション)
2009年(平成21年)3月 寮舎棟外壁塗装工事及び屋上防水改修工事完了
2009年(平成21年)9月 寮職員宿舎内部改修工事完了

2010年(平成22年)6月

教室冷暖房設置

2010年(平成22年)8月

園庭改修工事完成

2010年(平成22年)11月

校舎棟外壁塗装工事及び屋上防水改修工事完了

2012年(平成24年)4

戸﨑透園長着任

2013年(平成25年)3

開園75周年記念制作完成

開園75周年記念作品

 

2014年(平成26年)4

吉田友信園長着任

2018年(平成29年)12

開園80周年記念式典

2018年(平成30年)4

小久保秀雄園長着任

2020年(令和2年)6

2023年(令和5年)1

大規模改修工事開始

大規模改修工事完了

2023年(令和5年)4

平山尚彦園長着任